武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

余りにも豊穣で余りにも多方面に活躍していて語り難く論じ難い谷川俊太郎を何とか捕らえようとした熱のこもった力作評論集

toumeioj32005-08-26

 愚直なまでに一途に関心のある対象にのめりこみ、迫ってゆく北川透さんの評論の仕事に、詩と評論の雑誌「あんかるわ」以来興味を持ってきた。何十年前になるか、谷川俊太郎について書き始めた頃、最新式のスポーツカーをトラクターで捕まえようとする感じがして、意外の感があったが、このたび出版された北川透さんの「谷川俊太郎の世界」を読み、立派の評論集としてまとまっていることに強い印象をうけた。
 評論の仕事は、論じ難いもの語り難いものを取り上げて、いかに料理して見せるかにその醍醐味を感じてきた。モーツアルトを論じた小林秀雄しかり。普通に考えて興味があり面白いので、言葉で語ってみたいのだがどうにも取っ掛かりが掴めなくてスルリと指の間からこぼれてしまいそうな対象を、言葉で鮮やかに料理して見せてくれる評論。そんな評論が読みたい。読者とはかくも我がままで勝手なもの、お許しあれ。
 谷川俊太郎の場合は、作品がとにかく膨大、多すぎる。単に多いだけなら、まとめて整理すればいいのだが、整理しようにも作品が余りにも多様で、どういう風にまとめてもこぼれてしまう作品が出てきてしまう。傾向と対策を絞りようがないような現代の詩の巨人と言うべきだろう。特定の作法や思潮、会派に属しているわけでもない。自由にやりたいことを天真爛漫にやっているだけのように見えて、時にはその作品は深刻、時代の流れを抉るように鋭く、しかも極上のユーモアに溢れている。どうにも捕らえどころがないと言うのが一読者としての長い間の印象だった。
 北川透さんの今回の評論集は、方法論を確立して大上段から攻めるような、長編評論ではない。たまらず興味関心があって、求められて折に触れて書き溜めてきた短い作品を、1冊にまとめたもの。しかしそれが良かったのではないか。谷川俊太郎の詩集は、1作ごとに大きく変貌を遂げるので、余りまとめないでその時その時に、その時代の雰囲気の中で精一杯読み込むしかないのかもしれない。まとまったものをこうして1冊の形で読むと、北川透さんの熱い関心のありようが、1本のレールのようにつながり、結果として、谷川俊太郎の多面性を見事に浮かび上がらせているような気がした。1966年から2000年までの論考に、まとめるに当たって最近書き下した2編を追加、40年近い関心の持続が見事に実を結んでいると言うべきだろう。
 読んでいて難解で分かりにくい部分のあったのだが、おおむねなるほどと感心したり、頷いたり、納得して教えられることが多かった。谷川俊太郎の世界を、対立し反発しあう多様な概念の運動としてとらえるところなど特に感心したところ。引用している谷川俊太郎の切れのいい軽やかな文体と、全く性質をことにする重く剛直な北川透の文体との水と油のような差異が、論じているものと論じられているものと対比となって鮮やかに浮かび上がり、読み進むのがとても楽しかった。
 谷川俊太郎の世界をチト別の角度から楽しんでみたい人、少し難しく語ってみたい人、きっといくつもの手がかりが見つかると思うのでお勧め。