武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

『窯変源氏物語』②③橋本治著(中公文庫)

toumeioj32005-10-14

 ①がとても新鮮で面白かったので②と③を続けて読んだ。前回書いた橋本訳のユニークな楽しさは変わらないが、続けて読んだせいか、源氏物語そのものが持つ物語としての豊穣、奥深さが感じられた。古典があまり好きではない私に、源氏が面白いなどと言う感想を持たせること自体、橋本訳がいかに優れているかと言うことになるだろう。
 ②には、<若紫><末摘花><紅葉賀>の3巻が含まれているが、やはり<若紫>の巻が物語の味わいとしてはもっとも濃厚。この巻の光源氏のエロチシズムは、近親相姦とロリータコンプレックス。特殊な生育暦のため心満たされない心的飢餓状態ゆえに、光源氏は抗うすべなく何者かに導かれるようにして、禁断の愛欲にひき付けられ、深々とはまり込んでゆく。
 父桐壺帝の愛妻である藤壺との痺れるような禁断の恋、そして不倫の果実たる幼子の誕生、そこから派生する圧倒的な罪悪感。時代の闇を照らす鏡としての光源氏は、時の最高権力者の愛人との間に、権力を継承する秘密の後継者を作ってしまう。権力機構に対する最高レベルの裏切り行為、これ以上に罪深い犯罪行為はちょっと考えられない。この設定は凄い。この時代、最高権力の継承構造をこのような形で相対化してしまう物語を書いたと言うこと、これは画期的というしかない。
 自由と言われる現代、皇后を相手にした不倫小説を書き、不義の子どもを生ませその子に皇位を継承させる物語を一体誰が書けるだろうか。何事も自由なはずのこの時代ですら、ほとんどの作家は二の足を踏むにちがいない。それを千年前に堂々と宮廷の女官が書いてしまった、これは凄いこと。そして、この設定だからこそ、権力の禍々しい構造が光源氏の自我を構成する鋭敏な意識を通して、時代の闇を背景に不気味に浮かび上がってくる仕掛け。
 もう一つは、幼い<若紫>を発見し心ときめかせる光源氏。しかも、光源氏が幼女に魅かれる背景にあるのが義理の母親である藤壺の面影、この設定も凄い。正妻の葵の上に疎まれ、女になる以前の幼女に渇望を満たすエロチシズムを感じつつ背後に、禁断の不倫相手の面影を重ねる。これは2重の禁断の愛欲、ロリータコンプレックスプラス近親相姦幻想というとてつもない設定。この国の人々を、1000年も魅了し続けてきた恋愛物語が、こんな危険な構造を持っていることの不思議、よその国の人は何と思うかしら。こんな凄いお話まともに高校あたりで読んだらいい勉強になったと思うのに・・・。
 <若紫>の巻だけ読んでも、この物語のとんでもない構造・内容が浮かび上がってくる。しかも、現代文学の才人、橋本治が克明にこの古いとんでもない物語の構造を解きほぐし、再構築して、記述は熱を帯び輝きを増しぐいぐい先へ進む。その心理的解剖の手つきの鮮やかなこと、フランスの近代不倫小説を読むような醍醐味すら感じられる。まことに楽しい。
 ③には、<花宴><葵><賢木>の3巻が入っている。この中では<葵>の巻が圧倒的。源氏の正妻である葵の上と愛人六条の御息所との牛車のカーチェイスと心霊バトル、バイオレンスとオカルトの混合、照明と言えばかすかな火の光しかない圧倒的に暗い宗教の時代を背景に、手に汗握る女の戦いが盛り上がり、源氏の正規の子どもが誕生、正妻の葵の死があり、この巻は特にドラマの展開が絶妙。権力欲と愛欲が交錯し、とんでもなくサイキックな復讐劇と夫婦の愛情物語が隣り合う。<若紫>の上に展開する近親相姦の影さすロリータコンプレックスが実り、若紫が少女時代を終え女としての歩みを始めるのもこの巻。
 振り返ってみれば<若紫>と<葵>は源氏物語の主筋、いわば物語のメインストリート、作者が力を入れるのもよく分かる。例によって、橋本治の現代語訳は、かなり錯綜したこの物語をたっぷりした情感をこめて見事に展開してゆく。巧みに構成された中編小説として秀逸。紫式部の物語作りに脂がのってきた感じとでもいえばいいか。
 六条の御息所の複雑で錯綜した、しかもどこか愛らしい奇妙な味のする女心は味わい深い。橋本治の巧みな筆から不思議な女の像が鮮明に浮かんでくる。ここまで見事に女を描いた例は、1000年を経た今でもあまり多くはないような気がする。見事な造形というべきだろう。