武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

(写真は、フライバシー情報にブラシでマスキングした私の通勤定期)  生涯で最後の通勤定期を購入して、いささか感慨をもよおしたので一言。もうこれから先、公共の乗り物で通勤する必要がなくなる年齢がきたということをとりあえず喜びたい。

toumeioj32005-10-17

 病気や事故より確実にこの日が来ることが分かっていたので、3年ほど前から徐々に意識するようにはなっていた。退職金や年金制度のことが他人事ではなくなり、自分のそうは遠くない時期の生活設計に関わることとして、実際にどうなっているのか調べてみるようになっていた。
 そこで考えたことがいくつかある。その一つは、健康づくり、落ちてきた体力の衰えるペースをなだめ、あわよくば自分の精進で元気な状態を長引かせるにはどうしたら良いか。食生活の改善と運動不足の解消には、気をつけるようにしてきた。
 次に、体力と同時に、低下してきた知力の衰えをどうするか。何でも未経験のことに挑戦するのがいいことは分かっているが、なかなかままならない。このブログを更新し始めたのもその一つ。若い人の音楽と若い人の作品に、勤めて触れるようにしているが・・・。キーワードは<最適化>、衰えてゆく宿命に対する戦略はおそらくこれしかあるまい。
 もしものためのしっくりくる死生観を獲得するために、老化と死ぬことに関わる書物と情報を意識的に収集し始めたこと。これが、なかなか面白くて楽しめるので喜んでいる。もともと暗い話が嫌いではないので、どっぷり暗さに浸ってニタニタしている。おっつけ集めた暗いネタを出してゆくつもり。
 通勤して一日の一番いい時間帯を勤務に取られてしまい、春爛漫の花の季節を室内ですごし、天高く突き抜けるように晴れ渡った日和にお勤めに励む、なんとも悔しい思いをしてきたが、やっと誰にも気兼ねなくやりたいことができる<時間持ち>の身分になれる日が来る。それにしても30年間は長い。人生の一番いい時期をあらかたもっていかれてしまった。職業が面白くなかったわけではないが、勿体ないことをしたという思いがしないでもない。
 最後の半年が、どんな風に推移するか、時々、書き付けていくことにしようと考えている。詰まらないと思った飛ばして欲しい。