武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 次に、東京国立博物館の『北斎展』を見に行った。

 今月25日に始まったばかりなので、入場者がとても多く行列の動きに挟まれての鑑賞になった。こちらも、案内ページの文章を引用する。

 北斎が世界中の人々に愛される理由、そのひとつは、流派や伝統にとらわれない自由な筆で、把握しがたいほど多彩な作品を描き続けたことにあります。花鳥画美人画はもちろん、幽霊や古典物語、果ては気象の変化の様子まで、北斎はこの世のありとあらゆるものを自在に描き、20歳の画壇デビューから90歳で没するその直前まで、あらゆる表現技法に挑戦し続けました。
 大英博物館ボストン美術館メトロポリタン美術館など、第1級の国内外美術館や個人の協力により、今回出品されるのは約500点。その作品の多様さは目をみはるものがあり、今まで私たちが目にしていた作品は、溢れる才能が残した偉業の片鱗にすぎないのだと思い知らされます。
 本展覧会では、長きに渡る北斎の画業を6つの時代に分けて展示し、その衰えることのない創造の軌跡を辿るものです。今回集められた北斎作品の多様さ、作品数のみならず、版画の刷りの質に拘った展示はこれまでに例がなく、今後も不可能だと言われる規模のものです。

 北斎展の方は、文句なしに素晴らしかった。展示は70年にわたる画家としての活動時期を六期に分けて、画家としての生涯全体をあらゆる角度から網羅した企画と言ったら良いか、495点に及ぶ圧倒的な作品群は、北斎と言う画家の底知れないエネルギーを実感させる。今から200年も前に、これらの膨大な作品群を享受するだけの経済社会と文化的な鑑賞力を大衆的に保持していたと言うこと、その歴史的事実のおもさにたじろいでしまう。
 それにしても、多様な表現形態を可能にするための、北斎の旺盛な勉強振り、中国からヨーロッパと見てビックリの幅広い研究と実作への応用力、北斎は今でもビジュアルな表現の汲めども尽きない宝庫になるとさえ感じた。 
 北斎展だけは是非行かれることをお薦めする。北斎が多作なことはよく知られているが、これほどまでに多様性に富んだ表現者だとは、不覚にも今まで気づかなかった。北斎の画業の全体像を目の当たりにするなど、おそらく本人にすらできなかったことではないか、それができるだけでも得がたい体験となるはず。北斎は古くない。200年たった今なお新らしい脅威の表現者である。