武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

この本に出会ったのは地域の市立図書館、文芸書のコーナーの一番上の棚に、なぜか可なり離れて置かれていた。下巻が眼にとまり視線を横にずらして上巻を見つけた。ネットで調べたら続巻も出ているようだ。

toumeioj32005-11-03

上巻を手に取り目次をめくり、少し読んでみる。敬体の丁寧な文章が何の抵抗もなくすうっと流れこんでくる感じ、読みやすい。もう少し読んで最初の1篇を読んだ。面白い。洒落ている。ユーモアのセンスがあり、にんまりした。借りることに決めで、他の本と一緒に貸し出しの手続きをした。
 上巻にも下巻にも、20篇ほどの詩歌鑑賞エッセイが並んでいる。「詩歌の待ち伏せ」という題から分かるように、内容は著者と詩や歌との出会いの場面を切り口にした、詩歌鑑賞エッセイ。この詩歌への接近方法がなんとも素晴らしい。
 誰にでも、絵や音楽、文学作品などと、必ずどこかで初めての出会う瞬間がある。その出会いが良い出会いなら、作品と人は、互いに惹かれあう恋人同士のように、忘れられない深い付き合いへと発展してゆく。人が人に出会うように、人と作品との出会いにも何らかのドラマがあることが多い。
 北村薫さんは、鋭敏で素晴らしい言語の感受性をもった方。言語感覚のアンテナが、極めて敏感、子どもの頃からの詩歌との幸福な出会いが惜しげもなく次々と出てくる。こんな出会い、自分にもあればよかったのにと溜め息が漏れそうなほど、素敵な出会いがいっぱい。しかも、脇の筋として出てくる小さなエピソードが実にうまい。1篇を読み終わった読後感は、上質な短編小説を読んだ時のような気持ちよさとなって残る。文章の運びの上手さが、さりげないので抜群のテクニックが鼻につかない。本当に良いワインの呑み心地と言ったらいいだろうか。
 北村薫さんにこのように引用されなかったら、誰もそんなに素晴らしい作品だとは気づかなかったかもしれないような作品でも、北村さんに見つけてもらい、褒めてもらうと作品の輝きが増すような気がする。北村さんの元の職業は教師とあるが、素晴らしい教育者なのだろう。素晴らしい作品を生徒たちに素敵に出会わせることができたら、その出会いは、生徒の一生の財産となる。この本は、読者に詩歌作品との幸運な出会いのチャンスを沢山提供してくれる。
 北村さんの素晴らしいところは、素晴らしい出会いを、抜群の鑑賞力でさらに発展させ育て上げているところ。人と人が出会って、一瞬の華々しい恋の火花はよくあるが、上手に育て上げていくのは至難の業、同様に、作品との素敵な出会いがあっても、その後が難しい。北村さんは、ささやかな出会いを忘れずにその後も作品の作者を見つけ、上手に鑑賞の手を広げてゆく人のよう。であった後の丁寧なフォローがあってこそ、最初の出会いも生きてくるというもの。その後の追跡の過程で、2度3度と、更なる新しい発見を積み重ねているはず、再発見の楽しみが待っているからこそ、関係が継続していく。

 詩歌を鑑賞する本は多いが、この本のように、そもそもの鑑賞の原点というか始まりに焦点をあててしかも鮮やかに作品の内容を鑑賞して見せてくれる本は初めて、全部買うと3冊になるが、是非、入手して。この国には素晴らしい言語表現がいっぱいあり、素晴らしい出会いが待っていることに気づいてもらいたい。この本を読むと少し人生が豊かになり、この本を誰かにプレゼントしたくなるかもしれない。そこから、新しい出会いが始まるともっと素晴らしいのだが・・・。