武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 (写真は道端で見つけたコスモス、しっかりと咲き誇っている姿をみつけるのは意外と難しかった。)

toumeioj32005-11-01

長続きはしないが、一二日秋らしい晴天の日がやってくる。そして一雨ごとに気温が下がってゆく。秋は往くのが早い季節だ。
 とりわけ早朝の重く冷たい空気が街中にみなぎっているような感じがする朝の散歩はすがすがしくていい。可能な限り薄着で家を出る。玄関から出た瞬間、全身がビクッと引き締まるくらいで歩き出す。その日の体調を探りながら、遅めのペースでゆっくりと家を離れる。車道に出るまでにipodの曲の設定をすませておき、駅までの30分の鑑賞音楽を選定する。今日はマーラーの7番、バーンスタインの指揮。
 5分間歩いたくらいでウォーミングアップが終わり歩幅を大きくし、足のけりを強くする。太ももを少し持ち上げるようにしてスピードを上げる。車で言うとセカンドギアからトップへギアチェンジしたような感じ、通信基地脇へ抜けると、朝日が斜めに当たってくる。神経を目覚めさせようと眼の奥まで朝日の光を届かせる。頭の芯のほうで心なしかプッチンと眠りの球が割れるような感覚がある。気のせいかもしれないが視界がぬぐわれたように透明度を増す。
 視界に広がる景色に注意を奪われ、音楽が耳から遠のくことがある。曲想の展開に引きずり込まれて視界に見えているものが何か分からなくなることもある。足だけはすたすたと歩き続けている。身体が温まってくると温かい血液が全身を巡る感じが心地よい。風景と音楽の隙間に、細切れの想念が顔を出して消えてゆく。今日の仕事のこと、職場の人間関係でチト気がかりになっていること、などなど、いずれの思いも展開する風景のように現れては消えてゆく。
 街路樹の葉っぱが、このごろ急に色づき始めた。あまり遠くない時期に落葉になって地面を覆い、枝ばかりの立ち姿になる日ももうすぐだろう。散歩する習慣ができてから、あまり風邪をひかなくなった気がする。少しの風邪は歩いて治す。勢いよく血管内を循環する血液に乗って免疫機能を担った細胞が全身を巡り、風邪の侵入を妨害するイメージ、ごく初期なら、このイメージで自分で治せるようになった。腰痛がずきずきし始めた時も同じ、腰の周りにマッサージをする筋肉の帯を巻いた感じをイメージして歩いているうちに、痛みが少しずつ遠のいていく。
 駅に着く、温まった身体に人いきれで蒸れている社内が暑すぎる。シャツを腕まくりをして、体温を落ち着かせる。今日もなんとか持ちそうな気がして、仕事に向かう。