武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 武蔵野に秋の訪れ

toumeioj32006-09-24

 この時期の朝の散歩は、一年中で一番爽快、快適の一語に尽きる。今朝も、住まいを出て住宅街の公園を一巡り、足を北に向け、なじみの果樹園を横切り、中富地区の畑の道に進んだ。この地域は水利のためか全く水田がない。都市近郊の野菜畑と狭山茶の茶畑が広がっている。
 点在する雑木林に斜めに朝日がかかり、視界はつい今しが洗われたかと思われるほどつややか。猛々しいほど元気だった夏の花々が姿を消し、秋を告げる彼岸花が咲き始めた。サルスベリの花には半分ほど実が付き始めた。ススキが穂を出し始めた。
 心なしかアスファルトの道よりも土の農道が、膝や足首に心地よくて、農道を一筆書きのようにして辿って歩く。視界が広がり、遠くまで見渡せる秋空が、透明度を保って広がっている。秋にはショパンが似合う気がするので、アシュケナージ演奏のバラードをipodで聴きながら歩く。
 いつもはよく見かける雉の姿が今日は見えない。小型の野鳥が枝から枝へと飛び移ってゆく。意識して車道から距離を置くようにしているので、余計な雑音はほとんど聞こえない。ショパンのピアノの響きが頭の中で反響し、視界一面に初秋の穏やかな農村風景が展開する。
 こんな爽快な散歩は、年間何回もあるわけではない。薄っすらと汗ばんだ身体を、そよ風が撫でて過ぎる。このままどこまでも歩いて行けそうな気がする朝の散歩だった。