武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『グールモン詩集』 堀口大學訳(発行弥生書房)

toumeioj32006-09-22

 グールモンの名前を初めて目にしたのは、近代の名訳詩集「月下の一群」を読んでいたときだった。堀口大學訳のこの詩集には、広く人々に口ずさまれ親しまれるような名訳の詩編が多数収録されていて、今なお時々ページをめくることがある。その中でも、若い頃からとりわけ調子が心地よくて、気に入るようになったのがグールモンだった。
 他の作品も堀口大學訳で読みたくて入手したのだが、新潮文庫と弥生書房の2種類のグールモン詩集だった。新潮文庫版の発行が昭和29年、弥生書房版の発行が昭和49年、内容は全く同じだが、目次の順番が違っているのと、弥生書房版のほうが新しくて読みやすいので、ついこちらの方に手が出てしまう。紹介しているのに申し訳ないが、ほとんど売れないらしく、今はどちらも絶版、古書でしか入手できなくなっている。
 この詩集のなかでも特に気に入っているのが、「シモーヌ 田園詩」と題された11編の田園賛歌。この詩編が呼びかける対象としている<シモーヌ>なる相手が、どんな人物なのか分からないが、詩編シモーヌに詩人の周囲に展開する自然がいかに素晴らしいか、切々と読むものの心に染み入るように語りかけてくる。スペインの抒情詩人ヒメネスの「プラテーロとわたし」をさらに純化したような、11篇の名品ぞろいだ。
 これらの詩編を口ずさんだりしながら、ゆっくりと読んでいると何十年か前の自然がまだ大きなダメージを受ける前の、のどかなゆったりとした田園の雰囲気を思い出す。言葉の喚起力、描写力を懸命に引き出さなくても自然に力むことなく自然に満ちた雑木林や森、川の畔や季節の移り変わりの中に入ってゆけた時代を思い出す。失われた時代の失われたリズムなのだろうか。
 本家のフランスでも愛唱されているのか、ポエジーフランセーズのサイトにグールモンのシモーヌ詩編が10篇紹介されている。http://poesie.webnet.fr/poemes/France/gourmont/11.html 是非、ごらんになっていただきたい。弥生書房版の目次を紹介しておこう。

シモーヌ(11編)
心の風景(11編)
邪祷(7編)
象形文字(3編)
古びた手箱(3編)
在天の諸聖女(22編)
手(1編)
遺稿(3編)
散文詩(3編)
解説

となっている。全体に自然そのものを讃えるか、自然に取材した語句やイメージを多用した詩編が多いので、さわやかな透明な感じを受ける素晴らしい詩集となっている。図書館などで見かけたら是非、手にとって見ていただきたい。芳醇な時間にひたれますよ。
 ちなみに、新潮文庫版の画像は次のようなものです。昔の新潮文庫は、みんなこんな装丁で売られていました。

最後に、寺と題されたしみじみとした名品を引用しておこう。グールモンの世界に血肉となって溶け込んでいる宗教的心情が穏やかな詩編の流れを満たし、思わず粛然となってしまう一編。

11 寺


シモーヌ 僕も一緒に行こう 夕暮のもの音は、
子供達が歌う讃美歌のように やさしくやわらかい。
薄暗い寺の中は 古い邸宅に似て、
ばらの花は 厳な焼香となつかしい愛情の香に匂う。


僕も一緒に行こう ふたりで静かに つつましく歩こう、
牧草刈りから帰って来る農夫たちの 会釈を受けながら。
僕はひとあし先に進み出て 君のために道の柴折戸を開けよう、
犬は切なげな目つきで いつまでもふたりを見送る事だろう。


僕の思いはめぐるだろう 君がお祈りをする間、
あの壁と 鐘楼と 塔を造った人たちの上を。
そしてまた駄獣のように 僕らの日毎の罪障の重荷を負い悩む、
御堂を造った人達の上を。


御堂の入口の 石を切った人たちの上を。
入口に大きな聖水瓶を吊した人たちの上を。
御堂の絵硝子に 四人の王さまと、
百姓小屋に眠る幼児の姿を 描いた人たちの上を。


僕の思いはめぐるだろう あの十字架を鋳た人たちの上を。
あの鶏を あの銅鑼を あのドアの金具を鋳た人たちの上を。
死んで 両手を組合せたお姿の
聖母さまを 木で刻んだ人たちの上を。


僕の思いはめぐるだろう その中へ黄金の小羊を投入れた者もいたという、
あの釣鐘の青銅を熔した人たちの上を。
1211年の昔に 今もそこに 聖ローシュさまが宝物のように、
安置されておいでの墓穴を掘った人たちの上を。


祭壇の左手の幕かげの
麻の僧服を織った人たちの上を。
経机の上の聖典を歌った人たちの上を。
聖典の金具に黄金を塗った人たちの上を。


僕の思いはめぐるだろう 供物を捧げた手の上を、
祝福し洗礼した手の上を、
婚姻の指環と受洗式の大蝋燭と断末魔の苦悶の上を。
僕の思いはめぐるだろう 泣いた女たちの目の上を。


思いは同じくめぐるだろう 墓地の死者たちの上を、
今はもう 花と草葉になってしまった 人たちの上を、
墓石の上に 今ではただ 名前だけが残る人たちの上を、
あの死者たちを永久に守る十字架の上を。


ふたりが 寺から帰る頃 世界は夜に閉ざされているだろう。
ふたりの姿は 松の木の蔭に幽霊のように見えるだろう、
そうしてふたりは 神さまの上を 自分たちのことを さまざまなことを、
ふたりを待つ犬のことを ふたりの庭のばらのことを思い合すだろう。