武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『胎児の世界−人類の生命記憶』三木成夫著(中公新書)

toumeioj32005-12-19

 茂木健一郎さんの本を読んでいて、三木成夫の名前を知ったのは、つい最近のこと。相当にあくの強い人だったらしいが、既に故人、著作が残っているのでさっそく手に取ってみた。中公新書の手軽な1冊、軽い読み物のつもりだったが、刺激に満ちた中身の濃い1冊だった。
 読み始めは、ケッヘルの例の誤謬であることが常識化した「個体発生は系統発生を反復する」の焼き直しかと思ったがさにあらず、遥かにスケールが大きく、想像力の広がりは地球生命の発生にまで伸び広がり、想像力の冒険旅行をしているような予想以上に面白い本だった。
 構成は、①故郷への回帰−生命記憶と回想、②胎児の世界−生命記憶の再現、③いのちの波−生命記憶の根源、この3章からなる。情報や知識を優しく伝達するような類の本ではない。むしろ、読者が既に知っている生物学の知識の再構成を迫ってくるような性質の本といったらいいか。
 第1章の「故郷への回帰」と題された文章は、民俗学と解剖生物学が混ざり合った気楽なエッセイ風読み物の感じで読めてしまうが、読後感がどことなく取り止めが無い。著者が目指しているものが何なのか、チト計り知れないところがあり戸惑ってしまうが、一言で言えば<生命記憶>という言葉に絞り込まれるような壮大な想像力の交響詩のような世界の前奏として振り返ると納得がいくような内容。<脊椎動物の上陸>と<いのちの塩>あたりにきて著者が展開しようとしている世界が垣間見えたような気がした。
 第2章にはいると、俄然、記述に精彩が加わり、鶏の受精卵の実習から地球生命の発生へ、そして人間の胎児の発生へと話題が展開すると、三木成夫の世界に完全に引き込まれる。特に、正面から見た人間の胎児の顔の描写には鬼気迫る迫力があり、この科学者の情熱に背筋がゾクゾクッとなった。個体発生の知識があまりの不気味さに小さな悲鳴をあげて震えだす。生の講義を一度でいいから聴いてみたかった。下手なオカルト小説も色あせるような生命神秘の恐怖。この章は、この本の背骨を形成している部分に当たる。先を急がず、じっくりと味読したいところ。
 第3章は終章、著者の豊富な知識が、奇妙な連想でつなぎ合わされ、連想が連想を呼ぶような、奇妙な味わいをもつお話、圧倒的な第2章の締めくくりとして読んだ。
 著者の言う生命記憶とは、地球の古代史と生命の発生が、胎児のの発生過程や発生形態のなかで奇妙に交錯する眼も綾な万華鏡の世界に見える。この内容を自分の科学的知見に加えていいものかどうか戸惑いがあるものの、読むものを奇妙に刺激して何事かを考えさせる強い刺激になる。スケールの大きな幻想文学として読んでも面白い。古きよき時代の生物学者だったのかも知れない。この三木成夫の世界、読んだ人にしか分からないと思うので、知的な刺激が欲しい人、是非読んでみて。