武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 茨木のり子さんのご冥福を祈って

toumeioj32006-02-20

 今朝の新聞を開いてすぐにその記事に目が行った。新聞を開いて、いやおうもなく見出しがこちらに飛び込んでくる時はろくなことがない。朝日新聞の訃報を読んでも、亡くなったことしか分からなかった。パソコンを起動して関連記事を探した。ほとんど似たり寄ったりの内容だった。読売新聞から一部を引用してみよう。

戦後の日本を鋭い批評精神と自立した知性で見つめてきた詩人の茨木のり子(いばらぎ・のりこ、本名・三浦のり子=みうら・のりこ)さんが19日、東京都西東京市内の自宅で亡くなっているのが見つかった。79歳だった。(略)子供はなく、夫を亡くしてから一人暮らしだった。

 訃報とはこうゆうものだが、ジーンと寂しいものがこみ上げてきた。
 茨木のり子さんは、1926年生まれ、1945年の敗戦の年に21歳、十代後半の多感な時期をこの国のどうしようもない軍国主義の時代とともに過ごした人だった。20年以上先をゆく大人の中で、子供の頃、素晴らしい詩人がいることに気付き、ずっと、日本語のお手本として読み続けてきた。この本は折りあるごとに手に取り、古本屋で安いものがあれば手に入れて、何人もの人に差し上げてきた本。取り上げられた詩が素晴らしいだけでなく、その解説が、過不足なく分かりやすく、ほぼ完璧な現代詩入門書となっている。この本に紹介されている詩を窓口にして、私は何人の詩人の作品に親しむようになったことだろう。
 この本の目次は、次のようになっている。

生まれて
恋唄
生きるじたばた

別れ

 最後の「別れ」と題された章に、追悼にふさわしい一編の詩が紹介されているので引用する。

<幻の花>
      石垣りん

庭に
今年の菊が咲いた。


子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。


今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。


遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊を!


そうして別れる
私もまた何かの手に引かれて。

 この詩を引用して、茨木のり子さんは「菊ばかりではなく、人もまた幻の花かもしれません。」とコメントされている。このフレーズがこの詩のこころを一言で言い表している。
 幻の花として生涯を全うされた茨木のり子さんのご冥福を心よりお祈りしたい。