武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『長谷川潔展』印象記(横浜美術館) 

toumeioj32006-03-19

 昨日、横浜まで足を伸ばし、1月から開催されている版画家の長谷川潔展へ行ってきた。自宅から車で出かけたのだが、陽気がよくなった土曜の日中だったので、各地で渋滞と遭遇、行き帰りを含めて一日仕事になってしまった。横浜美術館には初めて行ったが、多様なイベントが企画しやすいように設計された素晴らしい施設という印象を受けた。 (画像は小中学生むけのワークシート、わずか8ページだがよくできたパンフレット)
 さっそく長谷川潔の展示へ。作品を4つのセクションにわけて展示してあった。第1セクションは「裸婦とミューズ(美の女神)」と題された、女性美をテーマにした展示、豊満な女性の肉体を描いているのに、余分なものを削ぎ落としたような長谷川潔の線描が描き出す女性像は、不思議なほど無機質、透明な蝋人形のような印象。四つのセクションのなかで、人間が描きこまれるのはここだけなのに、ざわめきに満ちた人間が不在であるかのような静謐な空間が作品として飾られている。長谷川潔の女性を描いた作品には、余り注目したことがなかったので、このセクションが一番面白かった。彼の最後の作品「横顔」、長谷川潔独特の暗闇を背景にした若いチャイナドレスの女性の不思議な存在感がたまらなく良かった。
 第2のセクションは「風景」。若い頃のこの国の風景と、旅行して歩いたヨーロッパ各地の風景画。透明感のあるヨーロッパの田舎の風景には、人っ子一人いない静寂が描き込まれていて、非常に美しい。長谷川にとってヨーロッパの田舎の人々はなんだったんだろう。とにかく人影が綺麗さっぱりぬぐい取られたかのようにいないのだ。透明な廃村の風景のように神秘感すらただよう。
 第3のセクションが「草花・静物」。私が、長谷川潔の版画を眼にしてひかれたのは、このセクションの作品群、奥行きの感じられる不思議な黒(暗闇)を背景に、緻密に描かれた草花やオモチャなどの小物が静かに置かれている静物画、神秘感が漂う不思議な版画作品群。夜、小用起きて、この絵が飾られた壁の前を通ると、その後に見る夢が怖くなりそうな気がする、凍りついた悪夢のような奇妙な銅版画。それらの作品のモデルとなった人形やオモチャが展示されていて、それらのものを描いてあの独特の神秘感を作り出した長谷川潔の超絶の技巧に改めて感心した。
 第4のセクションは「小さな世界(挿絵と装丁)」。仏訳竹取物語につけた挿絵が印象に残った。
 全体の印象として、完成した作品だけでなく作品のための素描などを一緒に展示してあり、作品を仕上げてゆく過程が想像できるようにしてある展示が面白かった。完成度の高い作品になると、製作過程を想像することを拒絶するような厳しさがあったが、今回の展示で長谷川潔の技法の凄さを再認識するとともに、その超絶の技巧の秘密の一端が覗けて面白かった。
 子ども向けに作られたワークシートを一部もらった。子ども達の鑑賞を助けるパンフレットとしてよくできている。フォルダーとセットで無料で貸し出しているのも良い。美術展の教育的な側面を、こうゆう形で援助するのは美術館の仕事として大切なことだと思った。大人が使っても十分楽しめる好企画。
 それにしても、27歳の時に渡仏して、二度と再びこの国に帰ることのなかった彼とこの国の間を隔てたものは、一体何だったのだろう、展示を見ながら、この思いはついに解消されることはなかった。