武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 定年退職を迎えた日の感想(画像は、近所の親しい方からいただいた素晴らしく豪華なお花、どの部屋に置いてもその部屋が豪華な部屋に変身、花の威力は凄い)

toumeioj32006-03-24

 30数年働いた仕事に今日、一応の終止符がうたれた。職場のメンバーとの食事会でお祝いされ簡単なスピーチをやらされた。私にとっては、今日に至るまでの期待に満ちた数年間が、わくわくしてずいぶんと楽しかった。とりわけ、この1年は、<働かざるもの食うべからず>の絆からの開放を期待して、わが身が軽く感じられる毎日だった。職場の身近なグループと仕事のあとお茶をして、例によって花束をぶらさげて帰宅した。自宅の明かりをつけながら、これでまたひとつ終わったなという感慨にふけった。
 その後、近所の親しい方から素晴らしく豪華な退職祝いの花かごをいただき大感激。ここ数週間、退職を祝ってお花をいただくことが多く、狭い玄関に不似合いなほど花が飾ってある。いただいた花々をぼんやりと眺めていると、ようやく退職にこぎつけた満足感交じりの感慨が胸元にゆっくりと盛り上がってくる。離れて暮らしている家族からも、祝いの電話がきたりして、少なからぬ人に気にかけてもらっていたことはやはりうれしい。
 これから何をするつもりかと聴かれることが多いが、はっきりしていることは、<働かざるもの食うべからず>という意味での<仕事>にだけは二度と就きたくないということ。働かないでも食べてゆける蓄えがあるわけではないが、<仕事>はもういいというのが正直な実感、私は幸い仕事を生きがいにしなくても生きがいなら他にいくつも持っている。当分は、<仕事>を離れた日々を淡々と過ごしてみようと思っている。
 退職はしたが、昔の高齢者のように隠居するつもりはないので、生きることにともなう悪あがきは延々と続くものと思う。そう言えば、落語にでてくる長屋のご隠居さんは、気はいいが口うるさいでしゃばりが多い。どうやら、ここのところは、昔も今も変らないかもしれない。
 陽は斜めに傾いて 道はでこぼこ その先は視界遥かな闇の中