武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 退職後の残務整理・身辺整理(画像は近所を散歩していて見つけた梅)

toumeioj32006-03-25

 30年は短いようで長い、また、長いようで短い。時間の経過をめぐる感慨は、手のひらを翻すほどにも簡単にひっくり返る。長いという意味は、仕事の関係で積もり積もった資料の山が、崩れそうなほど溢れかえっていること。1年ごとに整理してきたつもりでも、僅かずつ残ってしまうものが山となって積み重なっていた。その嵩をみるとやはり30年は長かった。
 短いという意味は、過ぎ去った過去は薄れ行く記憶とともに、実感を伴わない時の累積しか残さないこと、実感として、過ぎてみればあっけなかったとしか言いようがない。
 したがって、長いようで短いようで、短いようで長い、というわけの分からない感慨を催すという次第。しばらくは、身の回りの残務整理と身辺整理に明け暮れることになるだろう。
 仕事は一日の三分の一、仕事は人生の三分の一と比較的割り切って働いてきたつもりだったが、その三分の一の比重の重いこと重いこと、就労した仕事の種類によっては背骨のひしゃげるような重みに耐えかねて、人生そのものを仕事に食いつくされる人も少なくないと聞く。自分の人生にくいが残らなければそれもまた人生と言えばいいのか?