武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 その① 『何もしないということ』

toumeioj32006-05-30

(画像は散歩の途中で見つけた可愛い花)


退職した後、
何をするかという話題がある。
仕事は、しないことにしている。
働かないと食べてゆけない労働者の身分だったので、
40年近くしかたなく働いてきたが、
仕事人間にはなれなかったので、
働くのはもういい。


今は、何もしない日々を楽しんでいる。
体調を維持するための軽い運動と、3食の食事作り、
後は、毒にも薬にもならない娯楽読み物の読書と、
ラジオ講座スペイン語
気が向くと、国外や国内各地への旅行。


暇をもてあますかと思っていたが、
もともと暇な時間が大好きだったので、
少しも退屈なんかしていない。
読みたかった本は、
書庫にも図書館にも限りなくあり、
読書用の老眼鏡のお世話になりながら、
のんびり読み進んでいる。
新作の映画も見たいし、
コンサートや展覧会、美術館にも行きたい。


朝の涼いうちに散歩に出かけると、
荷物を満載したトラックや通勤に出かけるサラリーマンと行き交う。
働く人たちのお世話になりながら、
日々を過ごしていることを思うと、まるで王様にでもなった気分。
貧乏貴族といったところかもしれないが、すこぶる快適。

 
人生の初めの20年は子供から大人に向かう勉学の時代、
20歳から60歳までの40年間は、働き蜂の時代、
そしてこれからは、何時まで続くか分からないが無為徒食の時代。


ほとんどストレスを感じないので、
精神的には極めて健康、
体調管理に気をつけて、
毎日が日曜日をせいぜい楽しんで暮らしてゆこう。
人生の後半に
こんな楽しみが待っているとは
知らなかった。


この時期を待たずに他界した友人達のことを思うと
なんともやりきれない。
何が何でも生き延びて
定年後の魅惑に満ちた空白の時間を
楽しまないことには、生きてきた甲斐がないというもの。