武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 フリーター&ニート問題の本当の深刻さ(近所の雑木林に姿を見せるようになってきたミノムシ、盛んに葉っぱを食べてすこぶる元気)

toumeioj32006-06-11

 11日の朝日新聞の社説「フリーター 「氷河期」の若者を救え」を読んでいて、同感したフレーズを見かけたので、その部分をまず引用する。景気回復が言われている陰で、取り残されようとしている就職氷河期時代に就職に失敗した若者達の高齢化を憂えた文章に続く問題提起の一文だ。

 障害者支援のNPO法人で正規職員として働く川崎市杉田俊介さん(31)は、フリーター経験をもとに日本社会の行方を分析し、発言している。杉田さんは「フリーターは親を最後のよりどころにしている。やがて親子ともに高齢化、貧困化していく。そのときに初めて本当の問題がむきだしになる」と予測する。

 問題はフリーターだけに留まらない。ニートと呼ばれている若者達の問題がある。15歳以上35歳未満の「就学及び就業をしていない者」の人口は、厚生労働省の調査では約60万人、内閣府の調査では約80万人。
 フリーターと呼ばれている若者達も、同じく15歳以上35歳未満で「学生・主婦でない者のうち、パート・アルバイト・派遣等で働いている者及び、働く意志のある無職の者」をさしているようだが、内閣府の統計では約300万人、厚生労働省の統計では約400万人。http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3450.html
 いずれの統計でも、微妙な定義の違いにより人数に多少の開きがあるが、無視できない数であることは間違いない。現状では、感じているか感じていないかは別として、本人自身の深刻な問題であるが、客観的に見て、家庭を築く安定した基盤を欠いているというという意味で、人生設計が描けず、伴侶となる相手を選べないという絶望の中に暮らしているであろうことが想像され、心が痛む。以前、夢を食べて暮らす若者達として、からかうような風潮があったが、あの時甘やかした大人たちもいけなかった。
 資本主義社会が利益主導で推移してゆけば、このような社会的な歪が避けられないことは、以前から分かりすぎるほど分かってはいたことだが、人としての尊厳の土台を揺るがす問題として、深刻に受けとめる必要がある現状だということを先ず押さえておこう。
 そして、何よりも問題なのは、想像力さえあれば分かることだが、これから30年後。フリーターもニートも、最後のよりどころとするのは、親や家族であることは間違いない。親が高齢化すれば、ほぼ自動的に仕事を失い高齢者はほとんどの場合貧困化するので、余剰ファミリーを養う経済力を喪失する。貧困に向かう高齢者である親をよりどころにした場合、<そのときに初めて本当の問題がむきだしになる>という現象が発生する。親亀がこけて皆こけてしまうようになる。しかも、こける数が尋常ではなく多くなる。
 あなたは、<むきだしになった本当の問題>として、どんな場面を想像なさるだろうか。これは、貧困に対する想像力の問題だ。絶望という条件のもとに集う行く先のない一族郎党、これまでなんとか目を背けてきたすべての問題が赤裸々のむき出しになり、誰の目にも明らかになる日、人は明日のために何を選択するだろうか。豊であることしか知らなかった者たちが、初めて実感する本当の、いかんともしがたい貧しさ。自助努力などという言葉が、何のよりどころにもならないことは、産業革命以来の社会福祉史を紐解くまでもなく明らかなこと、この国の自殺者数が2000年以降3万人をオーバーしているのには、れっきとした理由があるのだ。これからは、この国の制度そのものの欠陥がむき出しになる時代が来るだろう。
 私たちは、そんな状態に二度と戻ることがないことを目指して、この社会を築いてきたのではなかったか。戦後60年は一体なんだったのだろうか。そんな感慨が胸を過ぎる。