武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『龍時01−02』 野沢尚著 発行文芸春秋

toumeioj32006-06-14

 サッカーのワールドカップ・ドイツ大会が始まり、マスメディアの関心がサッカーに集中、手を変え品を変えして、サッカー関連の報道に明け暮れている。この国のチームは、先日、後味の悪い負け方で初戦に敗退した。どのように勝つか負けるか、そして、勝ってどう振舞うか、負けてどう振舞うか、騎士道や武士道とまでは言わないが、古今東西その振舞い方を巡る勝者敗者の行動の美学というものが、自ずから求められるような気がする。なりふりかなわないと言う方法も含めて、当分の間、楽しみの多い日々が続きそう。
 とても面白いサッカー小説を読んだのでご紹介したい。野沢尚の「龍時」という小説、大雑把に分類すればスポーツ根性物。しかも、冒険小説としても、教養小説としても読める、長編サッカー小説。私の少年時代は野球全盛だったので、サッカー関連の専門用語がいまいちピンとこなくて困ったが、特に試合のシーンに作者の力点が置かれているらしく、迫力満点、ストーリー展開の軸にもなっていて楽しい。ざっと、この小説の気に入ったところを列挙してみよう。
 ①いくつもの物語り手法を絡めた力作。まず、主人公「龍時」の幼児期からのエピソードを織り込みながら、サッカー界で成長を遂げてゆく天才サッカー少年の成長物語として構成されている。複雑で、豊ではないが濃密な家族の世界と、狭くて姑息な地域社会からの離陸。スペインに雄飛(古いね)して、サッカー界の階梯を傷つきながらよじ登ってゆくサクセス・ストーリー。主人公の心理描写と、場面の背景描写が鮮明で、いつの間にかお話に引き込んでしまう手腕はなかなかのもの。
 ②元はといえばシナリオライターだった作者だけに、会話文の組み立てが躍動的、会話の形をした説明文からはるかにぬけだしたドラマティックで生きのいい会話になっていて楽しませてくれる。1960年生まれの作者らしく、若者言葉(これも古いね)が自然にピタッと生きている。高齢者には死んでも仕えない言葉が、いいところで使われていて勉強になる。(発想が何とも古いネ)
 ③意外と古い勧善懲悪の倫理観に裏打ちされていて、読み味が常に爽やか。愛と信頼は傷ついてもむくわれ、努力は結果となって主人公の成功への道を切り開く。読んでいて、分かりやすいし、安心して先へ進んでいける展開になっている。こんなに上手く行くはずないよ、とは思うものの、決めるべきところでちゃんと決まるので読んでいてスカッとする。読者を気分爽快にしてくれのは、娯楽作品としてとても大切なこと。
 ④ここまでは1冊目をよんでの感想だが、残り2冊の展開を楽しみにしている。ただ残念なことに、作者は「2004年6月28日未明、事務所マンションで首吊り自殺した。享年44。」ということなので、期待していい大型の才能なので悲しい。
 ワールドカップで試合運びにイライラしていた人、未読ならおすすめ。必ずスカッとします。