武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 自家用車の選択あるいは中古車という結論

toumeioj32006-07-18


 定年退職して車の使い方が変ったので、今乗っている車を買い換えようということになった。既に7年ほど乗っているので愛着が深いが、元々走行距離の少ない中古車だった。ミッションがCVTのモデルだったので購入したが、途中でCVTそのものが壊れたほかは大きなトラブルもなくよく走ってくれた。
 そういえばここ何台か、中古車ばかり買っている。いくつかの理由らしい理由もあるが、新車購入時のあの晴れがましい感じが年齢的に必要なくなって、かえって疎ましい感じになってきたから。経済的な理由もある。新車購入時の諸費用が高うえに、購入した瞬間に中古車になってしまう新車価値が無意味に思えるようになったから。 (画像は豪華なボタンの花にやってきたテントウムシ
 友人に話すと「中古車の程度が分からなくて買うのが怖い」というが、私は、外観と走行距離を大まかな基準にして選ぶことにしている。程度の良くないものはそれなりに安く、良いものはそれなりに高い。現代の国産車は、おおよそ1台の車が快適に走れる距離を10万km、年数で10年、これを基準に引き算をして残りの年数と走行距離と使用目的にあった車の機能を買うという風に考えると、結論として、程度の良い中古車を買うのがマシという結論になってしまう。
 車社会なので、車という商品にはいろいろな価値観が付着しているが、若い頃に車を見ていろいろと感じていた付加価値が次第に剥がれ落ちていった結果かもしれない。来週には、定年退職後の老後を楽しむための中古車がやってくる。思い描いていた通りに楽しめるといいのだが。自分自身がいいかげんクタビレタ中古車のようなものなので、労わり合いながらゆるゆると走ろうかと思っているのだが・・・。中古であっても新しい車が来るのは気分を高揚させてくれること。また、しばらくは新鮮な楽しい気分に浸れそう。