武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ぼくらの小松崎茂展』印象記(逓信総合博物館)10月7〜12月3日

toumeioj32006-11-23

 私の少年時代は、圧倒的に小松崎茂のイラストに影響された時代だった。戦後文化の代表の一つのマンガは勿論だが、絵物語というメディアによって物語を読む楽しさを、小松崎茂のイラストを通して学んできたことを痛いほど実感した展示だった。
 すべてを雑誌や単行本、プラモデルの箱絵などを通して見てきたが、原画には、それらの印刷よりもはるかに強い表現力があった。この国の仮名本などに見られる江戸時代からの大衆娯楽が、戦後の少年読み物の世界に開花したのが小松崎らの絵物語の世界だったことが分かる。
 活字媒体に比べると遥かに大きな情報量をもつので、私は子どもの頃、本の中の緻密な挿絵ばかりを探して楽しんだこともあった。カラー版の見開きに込められた圧倒的な情報をなめるように覗きながら、まだ読んでいない物語にときめき頭がくらくらさせていた。静止画を頭の中で動かし、しばらくの時間、勝手な夢想に浸ったことだった。小松崎のイラストは、活字媒体絵の最良の入り口だったのだろう。
 プラモデルの箱絵にしても、実物をはるかに越える圧倒的な表現力にひかれて、何度財布をひらいたことだったろう。田宮模型が指先の器用な少年たちに、圧倒的に支持されていたのは、小松崎のイラストと無縁ではない。この展覧会は、それらの事情を圧倒的な説得力で見せてくれる。
 見終わってひとつ気になったことがある。それは小松崎のどの絵からもユーモアを感じなかったこと、ひたすら真摯に緻密に描き込まれた絵は素晴らしいが、何故かユーモアが感じられない。冗談を許さないほど、先端的な表現を目指していたということか。ユーモアが入り込む余地のない世界だったんだなということに気づき、チト私達の少年時代の余裕のなさに胸が痛む思いがした。
 カワイサを愛でることのできる今の時代の豊かさを噛み締めたことだった。戦後に少年時代をすごした本好きだったオジサン世代にお勧めの展覧会だった。