武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『韓国現代詩選』茨木のり子訳編(発行花神社)

toumeioj32006-12-15

 今年の2月に他界された茨木のり子さんの韓国現代詩の翻訳を読んでいて、どうしても紹介したい詩があったので、引用させていただく。作者は、1925年生まれのホンユンスクさん、茨木のり子さんの芯のある美しい日本語に移されて、なんとも薫り高い一編に仕上がっていると思うが、どうだろう。
 東西に分裂させられた国家のもと、離散を強いられた家族も多いのではないだろうか。主題は、現実の行方不明者の捜索と、見失った若かりし頃の自分自身探しとのダブルイメージなのだろうが、迫ってくる哀歓は痛切を極めてあまりある。
 この詩を何人かの若い女性に紹介したことがあるが、若さのゆえかピンとこないと言われたことがある。「自分探し」などという言葉があるが、苛烈な戦争の中で、強いられて喪失した自分というものがどんなものか、想像すると粛然とならざるを得ない。
 本来は1連構成の詩だが、分かりやすくするために3連にしてみた。意味が取れたら本来の形に返して味わってみて欲しい。胸の深奥の一番光が当たりにくい所に爽やかな風を届けてくれるはず。

≪人を探しています≫


           <洪允淑 ホンユンスク>

人を探しています
年は はたち
背は 中ぐらい
まだ生まれた時のまんまの
うすももいろの膝小僧 鹿の瞳
ふくらんだ胸
ひとかかえのつつじ色の愛
陽だけをいっぱい入れた籠ひとつ頭に載せて
或る日 黙ったまま 家を出て行きました


誰かごらんになったことありませんか
こんな世間知らずの ねんね
もしかしたら今頃は からっぽの籠に
白髪と悔恨を載せて
見知らぬ町 うすぐらい市場なんかを
さまよい歩き綿のように疲れはて眠っていたりするのでは


連絡おねがいいたします
宛先は
私書箱 追憶局 迷子保護所
懸賞金は
わたしの残った生涯 すべてを賭けます