武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新河岸川水系の身近な川の一斉調査

 今日は朝から荒川の支流、新河岸川の身近な川の一斉調査に協力して、仲間と一緒に河川の水のサンプリングと水質検査に行ってきた。この日は、新河岸川水系だけで259箇所の測定が行われ、荒川や全国の河川におけるボランティアの測定を含めると、一体何箇所になるか分からないほど、全国で一斉の河川の汚れ具合のを調査する日。http://shingashi.hp.infoseek.co.jp/ここにアクセスすると、調査の概要がよく分かります。(画像はその連絡会のサイトから拝借した、測定風景)

 予め決められた地点に行き、周辺環境を観測、水をくみ上げて水温気温を調べ、某高校の化学実験教室に持参、パックテストと称されるキットを使い、PH,EC,COD,NO2-N,NH4-N、透明度などを測定し記録するもの。私が参加するようになって8年、毎年欠かさず実施されており、膨大なデータが蓄積されてきた。もしどこかで汚染が発生すれば、可なりの確度で発見できだけの、幅広い調査体制といえよう。
 実は、私が住まう武蔵野は古くから水が不足しがちな地域として知られており、身近な川として、日常的に接することのできる川らしい川はない。バブル期の頃に宅地開発された住宅街に降る雨は、雨水用の側溝を通り、都市下水道に集まる仕組みになっている。暗渠にされてしまったので川という意識はないが、合流する下水道こそが、元は狭山丘陵の湧き水を水源とするれっきとした小川だったのだが、残念ながら近くを流れる時には、川とは呼ばれず<堀>の名で呼ばれるという惨めな状態。
 どんなに大雨が降っても洪水の心配はないが、川とともにあるという気持ちの持ちようがない。この国の河川がもつ美しさとリスク、そのいずれとも無縁な暮らしをしていると、河川にたいして人々が抱くであろう様々な想いからも遠くなるようで、実に寂しい。だから、ちゃんとした川のある町へ行くと、川があるだけでもうらやましい気持ちがわいてくるのを押さえられないことがある。子どもの頃、暑くなると近所の友達と一緒に川で遊んで楽しかったことが、思い出される。