武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『我が秘密の生涯』第1巻 作者不詳 田村隆一訳 発行学芸書林

 これは、全11巻に及ぶ膨大な性の自叙伝の第1巻、何種類かの日本語バージョンがあるが、この学芸書林版が元になる原版。かなり以前に絶版になっているので、現在は古本でしか入手できないが、稀に見る存在感のある本なので、チャンスがあったら手に入れられことをお薦めする。初版発行は1975年、今から32年前。

 内容を一言で言えば、主人公の生涯にわたる性の遍歴の赤裸々な記録。ひたすら女性をかきくどきいかにして性交を成就させたかを、道徳ぬき、文学的装飾ぬき、読者への配慮などまったくなしに、綿々とひたすらに書き綴ったもの。
 女性の性のみをターゲットに、これだけ集中して情熱的に行動できるということに対する驚嘆そして馬鹿ばかしさ、しかもそのことの記憶を丹念に掘り起こし、黙々と記述していく根気と執念、かつて歴史上にかかる途方もない男が存在した記録として、翻訳者も言うように、「文明人」の愛読書たる資格があるのかもしれない。あまりに一途に、目標に向かって突き進むので、そのために金にも名誉にも自分の健康にすら目もくれず、快楽へ突進する姿は、性のドンキホーテとでも言いたくなるほど。
 その一途な純粋さにおいて、読んでいるうちに、猥褻な場面の連続にもかかわらず、濁った感じ、厭らしい感じは、次第に薄らいでゆくから不思議、目標とする女性を手に入れるための卑劣なたくらみ、相手の人間性に対する無配慮、何て酷いと思いつつも、余りにナリフリかまわない一途さに、滑稽なパントマイムを見る思いすらする。悲愴なまでの一途さに、私は何箇所かで思わずニンマリ。
 この本を密かに愛読する紳士がいたとしても、決して不思議ではない。虚飾と物語性を排した19世紀後半のイギリス紳士の性の自叙伝、この第1巻は5歳あたりから20歳ごろまでの体験談。記述からは地域性も時代背景も一切が関係なしと言わんばかりに排除されているので、いつのことかどこのことか、さっぱり分からない。だが、記述からかすかにこぼれ落ちてくる感触から、薄っすらと主人公(作者)が生きていた時代らしきものを浮かぶ程度、そのかわり主人公と相手の女性とのやり取りは克明にクローズアップで映し出されるようになっている。この本を歴史資料と評価するのは、以上のようなわけで間違っている。
 読み味は、一言でいえば、退屈の一語、相手が変るだけで、発展がほとんどない。しかし、事が事だけに興味深いし、性欲以外の雑音がないので、意外と不快感や嫌悪感は感じない。時間がない忙しい人にはお薦めしないが、世にも稀な書物を読んで見たい人には、こんな本もあるよ、こんな人生もあるよと言って推薦してみたい。
 最後に、第1巻の目次を引用しておこう。


第一章 幼児期の幻のcunt
第二章 性のめざめゆく過程
第三章 下女たちとのたわむれ
第四章 自涜の驚異
第五章 大願成就−シャーロットとのいきさつ
第六章 母性的なメアリの愛
第七章 百姓娘姉妹との交歓
第ハ章 天井舞台の興奮
第九章 ある労働者の妻と街娼
第十章 シャーロットとの邂逅と二人の女の奇妙な関係  
第十一章 ウォータールー街娼の手管
第十二章 新しき姉妹の同時妊娠のこと
第十三章 ウォータールー街のフランス女
第十四章 フランスから連れてこられた娘
訳者あとがき