武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『栄養学の歴史』 島薗順雄著 (発行朝倉書店1989/5/25)


 時折、ピンチヒッターとして台所に立つ男にとっては、グルメを志向する豪華レシピか、簡単を旨とするインスタント食品か、どちらにしても長期的展望とは縁がないわけだから、空腹を満たすか、招待客をうならせるか、栄養のバランスなど気にする方が野暮というもの、括弧付きの<趣味の料理>を娯楽として楽しめばいいと言うことになる。
 だが、家事としての料理となると、少し事情が違ってくる。美味しいことも大事だが、食べる人の健康管理の一環として栄養のバランスを考えながら、家計にしめるエンゲル係数も気にして、調理時間の配分を増やしすぎないように日々の食事を作るという、戦略的思考が少し必要になってくる。
 特に栄養学についての知識がないと、指針になる基準がなくて、何をどの程度食べたらいいか、途方に暮れることになる。そこで栄養学について調べ始めると、栄養学の世界もまた、とてつもなく広くて深い。朝倉書店から出ている「現代人の栄養学」という叢書は、何と全18巻、気の遠くなるような世界が広がっている。参考のためにその表題だけ引用してみよう。

1巻 栄養学総論/2巻 栄養学各論/3巻 臨床栄養学I/4巻 臨床栄養学II/5巻 公衆衛生学/6巻 健康管理概論/7巻 公衆栄養学/8巻 栄養指導論/9巻 給食管理/l0巻 調理学/11巻 食品学総論/12巻 食品学各論/13巻 食品加工学/14巻 食品衛生学・微生物学/15巻 解剖生理学/16巻 病理学/17巻 生化学/18巻 運動生理学

 栄養学も研究者レベルになると、凄いもんだなと感心するやら、怖じ気づくやら、複雑な感慨をおぼえる。私たちが必要とするのは、もう少し次元の低い、生活の糧となるような栄養学的知識、今回、ふと気になったのは栄養学についての文化史、人はどのようにして、栄養についての知識を発見し獲得してきたのかという歴史的な過程に興味がわいた。
 なかなかぴったりくる本が見つからなかったが、ようやく図書館でたどり着いたのが本書、読んでみると記述は教科書的だが、内容豊かな得難い良書、知りたい事柄を簡潔に記述してスッキリしている。栄養学の講座の概論風のテキストのような感じで、面白くも可笑しくもない記述だが、わかりやすさは抜群、読みやすい取り扱い説明書のような文体と言えばお分かりいただけようか、私は、この記述が気に入った。面白く書かれた栄養コラムも楽しいが、直球勝負のテキスト風記述にも捨てがたい味を感じた。
 非常に分かりやすい構成の工夫が凝らされているので、列挙してみよう。
 ①1章から4章までが、先史時代から近代化学が目覚めるまでの、いわば栄養学の前史にあたる部分、西洋文明と東洋文明の生命観の移り変わりにともなう栄養的な認識の変遷を意識的に整理してあり、簡潔で非常にわかりやすい。この部分の知識がほしかったので、もう少し踏み込んでほしかったが、あまりデータのない時代のことなので、この程度でも十分に満足。
 ②5章から7章までが、近代栄養学が明らかにしてきた三大栄養素。脂質、炭水化物、タンパク質などについての発見の歴史、栄養素の働きなどに触れて詳しく近代栄養学の足跡をたどる。小中の家庭科で学習した栄養の知識が、総括的に記述されていて懐かしいが、発見のプロセスが詳しいので興味深い。
 ③8章から12章までは無機質やビタミンなどを含め、現代の栄養学に到達するまでの、知識の蓄積の過程をより詳細に跡づける。私には、やや専門的すぎて読むのが辛い部分だった。物質の固有名詞がほとんどカタカナ表記なのがきびしかった(苦笑)。
 ④13章から15章までは栄養学の実践的周辺領域とでも言うべき、現在の食育基本法につながる社会的な関連事項が、歴史的にまとめられている。
 ⑤また、所々に人物小伝と題するコラムが、18本配置されて、主要人物の業績がまとめられて興味深い歴史読み物になっている。記述は、これも人名辞典のようにきわめて真面目、冗談のかけらさえない。
 ⑥最後に、文献紹介、人名索引、事項索引、略語索引がついていて使いやすい体裁となっている。
 大きな章立てがどうなっているか、目次を引用しておこう。

1 先史時代の食生活
2 古代の生命観から生命の科学へ
3 東洋の生命観と本草
4 近代化学の成立
5 三大栄養素の化学
6 三大栄養素とエネルギー代謝
7 三大栄養素の消化と利用
8 タンパク質の栄養価
9 無機質の栄養
10 ビタミンの発見
11 ビタミンの種類と作用
12 栄養素の必要量と摂取量
13 病態栄養と治療食
14 日本における栄養関連科学の導入
15 日本における栄養学の実践と推進