武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『赤い雪―勝又進作品集』 勝又進著 (発行青林工芸舎 2005/11 )


 一昨年の2007年12月に、マンガ家の勝又進が亡くなっていたことを知り、生前に出版されていたこの作品集を手に取った。昔も昔、ガロというマンガ月刊誌で目にして以来、すっかりご無沙汰していたが、何故か名前だけは記憶に引っかかっていた。「赤い雪」と題された作品集を読み始めてみて驚いた。
 この国の失われてしまった高度成長期以前の農山村の情景がしっとりと定着され、何とも懐かしい暮らしの匂いが立ち上ってくる。60年代半ばに<つげ義春>が「赤い花」などの名作で描いた農山村の世界は、旅行者の視点から描いた異世界として再発見された田舎の情景だった。70年代に勝又進が描いた農山村は、幼い頃に住み暮らして肌身に染みついてた原風景としての田舎の暮らしである。勝又進の幼少年期には、すでに失われていたであろう情景も、まだその名残を留めていた頃にちがいない。柳田国男あたりの民俗学の世界が、そのまま活人画となって動き出したような錯覚をおぼえる。
 濃厚に泥の匂いが立ちこめる寒村にうごめく、前近代を絵に描いたような庶民達、土から芽吹く新芽のように、ひょっこりと貌をのぞかせる民衆のエロチシズム。この作品集には、高度成長期以前に地方で生まれて、都会に流れ着いた人のノスタルジーをかき立てる力がある。作品ごとに気づいたポイントを列挙してみよう。
 まず、冒頭の「桑いちご」、10歳前後の少年と年上の少女の幼い交流、少女が初潮をむかえ、少年を置き去りにして一足早く大人の世界に移行してしまう瞬間を鮮やかに切り取った作品。つげ義春の影響を強く感じるが、こちらの方がよりほのぼのしている。
 「木魂」山奥で暮らす炭焼きの父と娘、そこへ訪れてくる若い炭焼き仲間の青年と、栃の巨木の精が、妖しく交錯する山の暮らし。若い娘にとりつく木の精のアミニズムが懐かしい作品。
 「鈴虫坂」湯治場の片隅に、乞食となって住み着いている老婆を巡る、宿の人々と客と老婆の若い頃の思い出を絡ませた一こまの悲話を、宿の娘の視点で描いた作品。最後のシーンで鈴虫が鳴いて弔う老婆の若き日の艶姿が何とも哀れ。
 「袋の草紙」出稼ぎで男達がいなくなった山村にやっていた若い元気なお坊さんと、村のおかみさん達とのおおらかな性の交流を描いた作品、視点人物は近くの湯治場で働く若い娘、隠密に若いお坊さんを袋に入れて使い回す山村の性の営みと濁酒の密造が、山里の悲哀を滲ませる。
 「子消し」夜這いの慣習が残る山村の、村人達と素行の悪い地主の夜這いをめぐる性の確執を、河童の言い伝えを絡ませて描いたこけし伝承。
 「夢の精」この作品だけは、少し色合いが違う。放浪のお坊さんの視点から描かれた、山奥の湯治場の情景、拾ってきた化粧クリームの匂いに触発されて、お坊さんが見る性的な夢の一こま。山頭火風の俳句が添えられた枯れた感じのする一編。
 「まぼろし」盲目のゴゼの老婆と娘が、ある山村を訪れた時の一こま、母を亡くした少年の視点から、昔の山村の生活を描いた作品、手癖の悪いお屋敷の主人にとりつく蛍の精が幻想的。
 「虎次郎河童」河童と少年の視点から描いた幻想的な短編、日頃は大人しい養子の父親がいったん酒が入ると人が変わって凶暴になり、男として逞しくよみがえるという奇妙な夫婦の性の機微と、そんな夫婦を見かねて決闘を仕組んで酒乱の男を懲らしめようとする河童と少年のやりとりが何とも微笑ましい。
 「雁供養」雪の中で行き倒れていた薬売りを蘇生させた若い女と若い薬売りの恋を、村をあげて成就させる人情話、雁の渡りにまつわる民話が哀感をさそう。雁の渡りと薬売りの旅の生活が微妙に絡んで美しい話にできあがっている。
 「赤い雪」酒造りにまつわる酒屋の青年と村の娘の恋物語、雪女の伝承と娘の恋の駆け引きが絡まり、吹雪の中の逢い引きの美しい盛り上がりは見事。
 以上の10篇の短編と、4本のエッセイ、自筆年譜がこの作品集の構成、読み終わって、やはり惜しい人を亡くしたという思いを強くした。一つの完結した行き止まり世界だが、なかなかの完成度、読み応えのある作品集だった。ささくれ立ってザラザラした荒んだ心を癒してくれるような温もりを感じた。