武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『開高健の憂鬱』 仲間秀典著 (発行文芸社2004/5/15)


 開高健の人と作品を、精神科医の立場から見るとどうなるか、そんな疑問にほぼ満足と納得のいく回答を与えてくれる本を読んだ。診断に強引な押しつけがましさがなく、読みやすくて理解しやすい作品に仕上がっている。よりよく開高健という作家を理解するための一つのツールとして紹介したい。
 大きく前後二つに分かれる構成の前半は、<病跡学>という耳慣れない学問についての解説をイントロにして、豊富な資料と文例を引用、開高健の性格類型を<執着気質>と<メランコリー親和型性格>に当てはまるとする。また開高が発症していた精神疾患としては<鬱病>と診断する。作家生活に支障をきたす程に苦しんでいたということが、病状として浮き彫りにされており、作品を通して想像していた以上に苦しんでいたことに衝撃をうけた。どうして周辺にいた誰かが、医師に相談することを進言しなかったのだろうか。それとも受け入れなかったのだろうか。アルコール以上に効き目のある薬も沢山開発されていたはずなのに。
 興味深いのは後半の二部の方で、一部で診断した性格類型と精神疾患が、文学作品の中にどのように昇華され、豊かな表現に結実したかという引用が面白かった。初めに<鬱病>という診断があるので、その診断にあう都合のいい例を引いてきたには違いないが、作品と行動がうまく響きあってなかなか説得力がある。作品に引き込まれて読むのと違って、外側からカルテを読むように引用文を読んでいくと、適度な距離感が保たれてひと味違う鑑賞が出来る。愛読者として、絢爛たる表現におぼれ、酔わされながら読むのと違う、奇妙な読み方ができた。
 作家の友人達や作品に対する評論の中から引用してくる事例も数多く、周到な目配りが行き届いていると感じた。気になる愛人や家族への配慮にも無理がなく、医師としての優れたバランス感覚にも好感が持てた。
 もとより開高健の作品を読む楽しさと比べれば、この本を読む楽しみは比べようもないが、思いがけない角度から開高健という偉大な作家を見つめ直すという知的好奇心は十分に満足させてもらえる。読み終わって、また開高作品を読み返してみたくなった。開高健の著作再読への気持ちをいつの間にか喚起するところがこの本の最大の役割かもしれない。目次を引用しておこう。

第一部 病いと芸術

 病跡学の誕生と研究方法論
 病跡学研究の実態
 開高の性格類型(構造)
 開高の鬱病

第二部 開高健の文学

 開高の文学的軌跡
 開高の鬱病性興奮
 開高の離人症
 開高の作風転換としての『輝ける闇』の意義

 開高文学がお好きな方には、是非お勧めしたい。これを読むと作品への理解が深まるような気がします。