武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『本は物である―装丁という仕事』 桂川潤著 (発行新曜社2010/10/28)


装丁家桂川潤さんが自らの本を出すと聞いて楽しみにしていた。さっそく取り寄せて一読、さすが現役で今現在快調にたくさんの本を装丁して活躍中の方らしく、外装も内容もとても気に入ったので紹介してみよう。
実は最初に注文するときに2400円という定価が、少し高すぎないかと気になった(苦笑)が、手に取ってみて納得、巻頭の口絵画像の精度、手の込んだ本文レイアウト、ふんだんに使われている図版による説明の分かりやすさ、後ろに付いている詳細な索引などなど、少々高いのも肯ける造本だった。本としての完成度の高さは、手に取ってみると直ぐ分かるものだ。さて、内容について気付いたことを列挙してみよう。
①本書全体の構成は、まず総論、続いて各論という正攻法の組み立てだ。1章では装丁概論、装丁とは何かから始まって、戦後日本のブックデザインの歴史、装丁の歴史がはらむ「編集、デザイン、タイポグラフィ」の3要素に触れて、今話題の電子書籍にまで話題をもってゆく。僅かなページ数の中に実に簡潔に、装丁についての基本的知識を分かりやすくまとめてある。私はだらだらとした長い説明が苦手なので、この導入は気に入った。書物の装丁についての必要十分な予備知識がここにある。
②文章は明快、記述が具体的でしかも情報の整理が行き届いており、何の抵抗感もなく理解がすすむ。こちらの頭が良くなったのではないかと思わせる説明が、上手い説明だと思っているが、これはその良い見本だ。勿論、内容にも無理やこじつけらしきところはなく、著者の真面目な人柄が文体と内容にバランス良く反映している感じがする。
③次の第二章が、この本で一番言いたかったことを展開しているところ。電子書籍化で本がデジタル化する過程で失われるかもしれない書物の<物>としての諸要素をもう一度、製造工程の現場から見つめ直してみるという仕掛け、<物>であるからには<物作り>のプロセスを経て出来上がるその作業現場を見てみようという訳である。第二章は、本作りの現場のドキュメンタリー、「本作りの現場は、実務にかかわる者しか立ち会うことが許されない」とあるように、第三者の取材が困難な世界、通常は、関係者以外覗くことの適わない世界の報告だから、本好きなら読まない訳にはゆかないのではないか。
多くの細心の注意力を必要とする物作りの製造工程で「〜〜は生き物だから」という台詞を聞いたことはないだろうか。本文印刷の現場では、「紙は生き物だから」機械的に扱うわけにゆかないという言葉に出会う。カラー印刷の工程でも現場から似たような言葉が出てくる。物を扱う製造工程で最高品質を目指そうとすると、職人的要素が欠かせないことが分かる印象的な言葉だ。
④この製造工程の取材で、高度な本作りの現場ほど、電子書籍化の動向の中で、次第に仕事量が減ってきている現場の実情に著者は遭遇する。本作りの伝統的とも言える高度な技術の継承には、時代の流れから生じてくる複雑で困難な問題が潜んでいることに気付く。おそらく多くの高度な各分野の生きた技術は、似たような事情で、歴史の彼方に消えていったことだろう。本作りは複合的な技術なので、存続し続けるのは容易なことではなさそう、少し怖い気がした。この章からは、著者が言わんとしている<物>とはデジタルに対置された「無限の階調と多様性を持つ物の豊かさ」なんだ、と言うことが伝わって来る。
⑤第三章では、著者が学生時代からプロの装丁家になるまでの印象深いエピソードが簡単に回想されている。私は著者が描くイラストにかねてから感心してきたが、背景に実は3回の藝大受験があったとは、青年期の3年間受験生としての修行が潜んでいたとは、納得の新発見だった。イラストもデッサンも上手いはずだ。著者の修業時代がどんなに今の仕事に生きているか、読んでゆくと「経験は無駄にならない」ということがよくわかる。
⑥第四章は、装丁家として著者が出会った印象深い人物8人を取りあげ、仕事を進めてゆく上での忘れがたいエピソードを、書物を紹介しながら回想する話。装丁者とは、これほどまでの思い入れを持って仕事をするのかと、その真摯な仕事ぶりに感銘を受けた。この著者に装丁を依頼する作者が多い訳が何となく分かる気がした。
⑦最後の第五章、心情的にはこの部分が一番グッときた。作者と装丁者が深いところで心を通わせて作り上げる書物、生きる証として本を読み本を作る営みのエピソードなどなど、電子書籍で果たしてこんなことが可能だろうかと気がかりになるような話が並んでいる。
⑧本の装丁で先陣切ってPCを使いアナログ時代のスピード感の乏しい仕事を追い越し、自在に仕事をこなしてきた著者が、電子書籍化の波に遭遇して、今、書物の身体性とデジタル化の記号性の狭間で、両極端に引き裂かれている状態を、真摯に受け止め、大きく揺れている姿が浮き彫りにされおり実に印象的だった。
本が好きで、本の過去未来に関心を持っておられる多くの方に是非この本をお勧めしたい。最後に、この本の目次を引用しておこう。

まえがき
第一章 装丁あれこれ―「物である本」を考える
 装丁?装幀?ブックデザイン?
 戦後日本のブックデザイン
 編集、デザイン、タイポグラフィ
 電子ブックと「書物としての身体」
 「秒である本」は残るのか?
第二章 本づくりの現場から―「吉村昭歴史小説集成」の製作過程
 本づくりの基本
 装丁・装画の作業
 本文印刷―理想社での作業
 付物印刷―半七写真印刷工業での作業
 金版製作―学術写真製販所での作業
 表紙貼り・泊押し―掘江紙工所での作業
 製函―加藤製函所での作業
 貼り―八光製函での作業
 製本―松岳社青木製本所での作業
 見本納品、そして流通・販売へ
第三章 わたしが装丁家になったわけ
 期せずしてミツション系大学へ
 キリスト教NGOで働く
 思いがけない展開
 精興社での修行
 長尾信(高麗隆彦)さんとの仕事
 田村義也さんの思い出
第四章 装丁は協働作業―さまざまな仕事から
 著者と装丁―長谷川宏・摂子夫妻との仕事
 画家と装丁1―金井田英津子さんとの仕事
 画家と装丁2―奥山民枝さんとの仕事
 写真家と装丁―長倉洋海さんとの仕事
 編集者と装丁―坂口顕さんとの仕事
 訳者と装丁―さくまゆみこさんとの仕事
 児童書と装丁―山浦真一さんとの仕事
 本の流通と装丁−1鈴木由起夫さんとの仕事
第五章 かけがえのない一冊
 かけがえのない本をつくる
 「地産地消」の本―杉田徹さんとの仕事
 テクストとコンテクスト―「物である本」と装丁の意昧
エピローグ―金夏日さんの舌読
あとがき
参考文献/用語索引/人名索引/参考資料