武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 国際線旅客機の座席モニターのこと

 今回のシチリア南イタリア旅行では、行きも帰りもアリタリア航空の往復だった。驚いたことに機内の大型スクリーンもしくは大型モニターは姿を消し、何箇所かに中型の固定モニターがあるだけ。大きな画面で映画を見せるような仕掛けそのものがなくなっていた。以前からのことかもしれないが、今回改めて座席モニターの進化に気付いたという次第。

 座席の頭部の裏側に付いたモニターを後ろの乗客が利用する座席モニターを操作してみて驚いた。映画や音楽、ゲーム、子ども向けのキッズプログラムなど、その余りに豊富なコンテンツに吃驚。さらに、肘掛の位置に設置してあるコントローラーの操作により、すべてのコンテンツが完全にパーソナルな時間に利用できる独立性にさらに感心。映画を例にとると10本以上の映画が、数ヶ国語の音声で、開始時間を気にすることなく何回でも自由の鑑賞できるという仕組み。私は、見たい映画が2本あったので、帰りの機内では、ほとんど読書する必要なくなったほど。音楽も覗いてみたが、幅広いジャンルから曲が集められていて、音質もなかなか良かった。
 おそらく機内に設置してあるコンピュータの容量が飛躍的に大きくなり、回線のスピードも向上、このような操作が可能になったものと思われる。ゲームをダウンロードする仕掛けになっていたので、座席モニターそのものが小型のPCになっているのかもしれない。この方向で、コンテンツの拡大と充実がすすめば、国際線の退屈はそれほど気にしなくてもよくなる日も近いのでは。
 だが、気になることがあった。何度かトイレに席を立ったが、何故か映画などを座席モニターで鑑賞している人がほとんどいなかったこと。コントローラーの操作が複雑で、使用方法の説明がどこにもなく、ある程度PCの操作に慣れた人でなければ、使いこなすのは難しいのではないかという気がした。たまたま機内には高齢者が多く、疲れて眠っていたのかもしれないが、最初から映画を見たくてもどうやって見ればいいのか分からなかったような気がした。所々で若い人が映画などを楽しんでいる様子だったが、チト寂しい気がした。
 娯楽をハイテク化すれば、娯楽の質も量も飛躍的に向上するが、操作性を何とかしなければ、多くの人が楽しめるものにはならないことは、分かりきったこと。航空会社のほうで、これは何とか工夫してもらいたいところだった。座席モニター自体は、素晴らしい進歩。乗客のほとんどが使いたいときに使えるようにならなければ、この素晴らしさが本物にならないと思ったことだった。
(画像は、パレルモの小さなタクシー駐車場でみかけた稠密な樹木、空を見上げても全く空が見えない、完璧な日陰を作り、樹の根元は限りなく涼しい)