武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『イギリスの貸本文化』 清水一嘉著 (発行図書出版社1994/3/31)


 少年期のノスタルジーに後押しされて貸本屋について調べているうちに、意外にも貸本業が世界的な広がりを持つ文化現象であり、大衆文化の歴史の一時代を画す出来事であったことが分かってきた。公的私的両方の教育が普及し人々の識字率が向上、民衆の生活に娯楽への欲求が広がり、読書の喜びに目覚める時代がくると、高価だった読み物を安価に楽しめるビジネスとして、貸本業が広く普及した時代が、どの国にもあった。しかしながら、すべての貸本業は、繁栄していた時期に長短はあっても、本格的に大衆文化として出版物が社会にあふれ始めると、使命を果たし終えて、歴史の舞台から消える運命にあった。この儚い運命も共通していて驚いた。
 そこで、貸本文化にかくも面白い広がりと奥行きがあることを教えてくれた貴重な3冊の出版物にたどりついたので、シリーズで紹介してみたい。
 貸本業が世界各国にあったビジネスだったと紹介したが、貸本文化についての各国の研究がどれほど進んでいるのか、文献が不足していて実はまだよく分からないが、本書は、イギリスで発掘された貸本文化にかかわる記録に丹念にあたり、イギリス一国の貸本文化史としてまとめられた貴重な一冊。読んでゆくと、さすがに産業資本主義発祥の地、イギリスにおける貸本という大衆文化現象が、一筋縄でゆかない屈折した文化現象だったということがよく分かり、目を瞠らされる。興味深いドキュメンタリーとして楽しく読める。
 人々の書物を読みたいという欲求の、何という根強さ、奥深さ、活字中毒の仲間が歴史の中に累々と繋がっていることに、何とも言えない安堵感を体感した。どこにでも薄っぺらなモラリストによる所謂<悪書追放運動>があったことを知り、納得したり感心したり。資料の収集など、大変な苦労を重ねた上での収穫だと思うが、実に貴重な本をまとめていただいたと感謝したい。
 概要をお伝えするために、少し詳しく目次を引用しておこう。

はしがき
序 章 貸本の始まり−貸本の揺藍期/書籍販売と貸本/貸本屋の登場−アラン・ラムゼー
第一章 初期の貸本屋−初期の貸本屋−温泉保養地/サミュエル・ファンコート/「ユニヴァーサル貸本屋」/ファンコートの運営法/ファンコートのカタログ/晩年の不遇/失敗の原因/ライトとパソウ/その他の貸本屋/ノーブル兄弟の貸本屋/コーヒー・ハウスと読み物
第二章 貸本屋の発展−保養地の貸本屋/バースの貸本屋/一八世紀のバース/ロンドンの貸本屋−ジョン・ベル/レインのミネルヴァ・ライブラリー/その他の貸本屋
第三章 貸本屋の運営−貸本屋の運営/会費/罰則/カタログ/蔵書を揃える/本の装丁とラベル/リーディング・ルーム/他の商売との兼業
箪四章 貸本屋の読者−蔵書内容/どんな本が読まれたか/大陸の文学にたいする興味/美文集その他/貸本屋の読者
第五章 小説批判−小説の社会的評価/小説批判/小説家による小説批判/小説批判―小説否定論/モラリストの批評/審美的な批評/小説批判のもうひとつの側面/小説はどのように「量産」されたか/小説は隠れて読まれた/小説弁護論
第六章 貸本屋批判−貸本屋批判/貸本屋弁護論/女性読者について/女性読者弁護/なぜ貸本屋
第七章 一九世紀の貸本屋−チャールズ・エドワード・ミューディ/新しい門出/貸本の大殿堂−−「レヴァイアサン」/サーヴィスの多様化/ライヴァルーW・H・スミス/ミューディと三巻本小説
第八章 貸本屋と三巻本小説−三巻本の権威/保証された市場/出版者への影響/ミューディの読者/ミューディと作者/三巻本小説と三部構成/重層的な事件・挿話/モティーフやプロットヘの影響/女性読者と小説
第九章 三巻本批判−ミューディの検閲/三巻本にたいする批判/三巻本にたいするミューディの疑問/出版者宛てへの通達/三巻本の終焉/一時代の終わり/ヴィクトリア時代と小説
終 章 貸本屋の終焉−ミューディの退場と新興の貸本屋/ブーツ・ブックラヴァーズ・ライブラリー/二ペンス貸本屋の登場/貸本屋の影響力/貸本屋公共図書館貸本屋の終焉
付録 『貸本屋の効用を考える−大小貸本屋開店運営のための提言』 (一七九七)
注 釈
あとがき
人名索引
事項索引

 同様なフランス編やロシア編などが出てくると、各国の国民性の比較が、貸本文化という切り口でできるようになるかもしれない。今のところ、一国の貸本文化研究としてはこれ一冊しかないのがさびしい。貸本文化に興味のある方にとっては見落とせない一冊。