武蔵野日和下駄

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 新銀行東京破綻は都政歪みの氷山の一角では

 今朝の朝日新聞の一面に、このところマスコミの話題になることが多い新銀行東京に関する気になる記事が出ていた。経営上の問題点を指摘するが聞き入れられず、当該銀行に見切りをつけてやめた人が、役員にも行員にも多数いたという指摘。
 何が気になったかというと、私が見聞きする範囲でも、都知事が現在の方になってから、都政の各所に同様の現象が発生していることを、何度も耳にしている。現場からの良かれと思ってする改善プランが聞き入れられず、無力感にとらわれることの苦痛。逆に、誤謬に満ちた業務の執行が、なんらチェックされることなく破綻が顕在化するまで、一部の上級幹部の思いのままに遂行できる傲岸。硬直した執行体制の中では、窒息する改善案と、幅を広げる愚策が同居して、オゾマシイ日常が居座る。
  金融業務のように、結果が否応なく表に出る領域はまだいい。例えば、教育行政のように結果が目に見えにくい分野では、問題の根はさらに深くなり、負の遺産は簡単には取り返しがつかなくなる恐れがある。
 新銀行東京の問題、誤魔化したり隠したりせず、徹底した情報公開のもと、金融業の専門的な観点から問題点を掘り起こし、適切な処理を遂行してもらいたいもの。
 重要な記事だったので、以下に前文を引用する。

新銀行東京、開業3年で役員17人辞任「進言」届かず(朝日新聞 2008年03月10日)
 東京都が1000億円を出資し、経営難に陥っている新銀行東京で、05年の開業から3年間で役員17人が辞任していたことがわかった。初期に辞めた役員は放漫経営の見直しを訴えたが聞き入れられず、任期途中の辞任や不再任になった、と複数の元幹部が証言した。辞任した役員は金融に詳しい人も多く、改善されなかったずさんな融資が経営悪化を招く形となった。
 新銀行東京は10日、経営悪化の原因を調べた報告書を石原慎太郎知事に提出する。11日の都議会予算特別委員会で概要が明らかにされる。
 同行は05年4月の開業時、代表執行役(取締役兼務)のほか、執行役5人と取締役6人の役員12人体制だった。役員1人が06年3月に任期途中で辞任し、同6月には4人、同12月には1人と辞任が相次いだ。
 開業時の代表執行役は07年6月に退任。開業3年となった現在、開業時から残る役員は2人だけだ。開業以降に13人が新たに役員となったが7人が辞任し、開業3年で役員計17人が辞任している。
 開業時に役員だった1人は、朝日新聞の取材に「ずさんな融資について取締役会で進言したが、聞き入れられず、見切りをつけた」と話す。開業当初、融資から数カ月で倒産する企業が散見され、対策を求めたが聞き入れられなかったという。「無駄な経費を取締役会で追及した別の役員も相手にされず、最後は辞任した」と証言する。
 06年に辞任した役員6人のうち、4人が大手銀行など金融出身者で、1人は監査法人出身者だった。別の元幹部は「放漫経営を厳しく追及する役員ほど煙たがられ、再任されずに辞めていった」と明かした。
 同行関係者によると、役員だけでなく「行員が3カ月に20〜30人のペースで辞めた時期もある」という。
 同行は、業務を監督する取締役と業務を執行する執行役を明確に分けて経営の健全性を高める「委員会設置会社」の形をとっていた。だが、役員の頻繁な辞任で、その機能が十分には働かなかった。

 政権や文明の末期症状とは、こういうものだろうか。都政の現体制は、いささか長過ぎたのかもしれない。この種の患部が、今後、各所から出てくるような気がしてならない。