武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ポーの一族』の構造と主題 萩尾望都著(小学館文庫)

◎少女マンガの70年代
 1970年代は、少女マンガの歴史のなかで、対象とする主題が拡大し、表現の質そのものが飛躍した変革の時代と呼びたくなるような収穫の多い時代だった。この時期、華やかな隆盛を誇っていた少年マンガの水準に肩を並べるかそれ以上の傑作少女マンガが次々と誕生した。少女マンガは70年代にその世界を確立し、より広い世界から読者を獲得した。
 竹書房が発行した『21世紀に残す名作マンガベスト100』に70年代の少女マンガが13作採用されているが、70年代以前の少女マンガは手塚治虫の「リボンの騎士」のみ。選者が男性に偏っていたせいかもしれないが、この時期の少女マンガがいかに幅広い読者を獲得したかよく分かる。70年代は少女マンガの高度成長期だった。選ばれている13作を列挙してみよう。

19位=キャンディー・キャンディー[いがらしゆみこ]75年「なかよし」連載開始
20位=ポーの一族[萩尾望都]           72年「別冊少女コミック」連載開始
24位=エースをねらえ![山本鈴美香]       73年「週刊マーガレット」連載開始
25位=ガラスの仮面[美内すずえ]         76年「花とゆめ」連載開始
27位=綿の国星[大島弓子]            78年「月刊LaLa」連載開始
37位=ベルサイユのばら[池田理代子]       72年「週刊マーガレット」連載開始
44位=はいからさんが通る[大和和起]       75年「週刊少女フレンド」連載開始
68位=炎のロマンス[上原きみ子]         75年「週刊少女フレンド」連載開始
78位=あさきゆめみし[大和和起]         79年「mimi」連載開始
80位=トーマの心臓[萩尾望都]          74年「週刊少女コミック」連載開始
83位=風と木の詩[竹宮恵子]           76年「週刊少女コミック」連載開始
92位=ポケットの中の季節[樹村みのり]      74年「別冊少女コミック」掲載
97位=エロイカより愛をこめて[青池保子]     77年「プリンセス」連載開始

 これらの作品群は、通常の少女マンガの読者以外の読者の世界へ、作品自体が持つパワーで溢れ出し、大量に売れかつ読まれた。従来の少年マンガでは表現し得なかった領域への意欲的な進出、表現された世界の質の高さと普遍性、この時代、素晴らしい傑作群が次々と誕生し続けた。
 今回はこの中から、マンガ表現に新たな地平を切り開いた記念碑的傑作と高く評価されている萩尾望都の「ポーの一族」を取り上げ、まだお読みになっていない方には、ぜひ一読されるようお勧めしてみよう。
◎「ポーの一族」を読む順番
 現在の読者は、72年頃の「別冊少女コミック」の読者のようにリアルタイムでこの作品を読む幸せは享受できないが、小学館から出ている<フラワーコミックス><文庫本><小学館叢書><萩尾望都作品集><萩尾望都パーフェクトセレクション>などでまとめて読むことはできる。読んでみると、編集方針の相違だろうか、相当に配列が違っていることに気が付く。
 配列によって、作品から受ける印象が変化するので、注意が必要。私としては、72年の発表当時、別冊少女コミックをわくわくしながら読み耽った読者の中に築かれた「ポーの一族」の世界が由緒正しい「ポーの一族」像ではないかと思っている。特に6話までの前半部分は、是が非でも発表順を守りたい。これから読む方は注意されたい。
 念のために、各編の完成時期と、雑誌掲載の時期を示しておこう。< >が作品の完成時期、( )が発表時期。

①すきとおった銀の髪[短編] <72年1月> (『別冊少女コミック』1972年3月号)
②ポーの村[短編]      <72年5月> (『別冊少女コミック』1972年7月号)
③グレンスミスの日記[短編] <72年6月> (『別冊少女コミック』1972年8月号)
ポーの一族[中編]     <72年10月>(『別冊少女コミック』1972年9月〜12月号)
⑤メリーベルと銀のばら[中編]<72年12月>(『別冊少女コミック』1973年1月〜3月号)
⑥小鳥の巣[中編]      <73年5月> (『別冊少女コミック』1973年4月〜7月号)
エヴァンズの遺書[中編] <74年11月>(『別冊少女コミック』1975年1月〜2月号)
⑧ペニーレイン[短編]    <75年3月> (『別冊少女コミック』1975年5月号)
⑨リデル・森の中[短編]   <75年4月> (『別冊少女コミック』1975年6月号)
⑩ランプトンは語る     <75年5月> (『別冊少女コミック』1975年7月号)
⑪ピカデリー7時       <75年6月> (『別冊少女コミック』1975年8月号)
⑫はるかな国の花や小鳥   <75年7月> (『少女コミック』  1975年37号)
⑬ホームズの帽子      <75年9月> (『別冊少女コミック』1975年11月号)
⑭一週間          <75年10月>(『別冊少女コミック』1975年9月号)
⑮エディス         <76年4月> (『別冊少女コミック』1976年4月・6月号)

◎抜群の導入部
 多くの傑作とされている作品には、導入部分に優れたものが多いが、この物語もその見本のような作品。第1話の「すきとおった銀の髪」は、チャールズの少年時代の淡い初恋の物語、少年期と老年期にすれ違うメリーベルという少女をめぐる不思議なエピソードを描いた叙情的な小品。「ポーの一族」に発展する主要なイメージは、押さえた調子でそっと暗示されるだけ。それでも年をとらない少年少女と初老の紳士との対比は、強い印象となって読者の胸に残る。
 第2話の「ポーの村」では、霧に巻かれて狩りの仲間とはぐれたグレンスミスという青年貴族が、鹿と間違えて少女を誤射してしまったことから不思議なポーの村に行き着く。ここで初めてポーの村で暮らすメリーベルエドガーが、永遠の命を与えられた薔薇を作って暮らす吸血の一族であることが明かされる。
 第3話は、クレンスミスの死の場面から始まる、グレンスミスの子孫の歴史をたどる編年体の、人々が時代に翻弄される物語。移り変わる人間の波乱に満ちた歴史を通して、グレンスミスが日記に記した「ポーの村」という名の神秘の村とそこに暮らすいつまでも年を取らない人々の謎が浮かび上がってくる。
 第4話では、時代は過去に戻り、ポーの村を離れて都市で暮らすようになったポーツネル一族のドラマチックな中編。エドガーとアランの出会いとメリーベルの死の顛末、3人の小年少女の濃密な三角関係。この4話は力がこもっており、ポーの一族の側の悲劇性が鮮明に描かれ、読む者を魅了する。
 第5話では、さらに時代は過去に遡り、メリーベルエドガーがパンパネラ(吸血の一族)になった経緯がドラマとして描かれ、4話と5話の2編はこの物語の大きなピークを作り出す。
 第6話は、一転して時代は物語の現代に戻り、学園生活を舞台にした画期的な少年愛の世界を描き出し、物語は最初のクライマックスに突入する。
 すでにお分かりのように、この物語は時間を題材にした物語なので、単純に時系列どおりに進行する物語ではない。巧みに時間を組み変えて、興趣を盛り上げる仕掛け、従って、順序を入れ替え始めると何通りもの組み合わせができてしまう。事実、これまで出版された「ポーの一族」は、全部順番が同じものは、一組もない。「エディス」と題された中編が最後になる点では皆同じだが、細かく見ればそれ以外必ずどこか順番が違っている。
 「ポーの一族」の順番は、この物語の何処に力点を置いて読むかに関係してくるので、読者一人一人が何度か読み返して、自分の順番に作り替えて楽しめばいいのかもしれない。入れ替わることによって少しずつ印象が変わってくるが、15編全部まとめて傑作であることは変わらない。
◎「ポーの一族」の主題
 「ポーの一族」の物語の骨格はこんなところだが、一コマ一コマに込められた絵の情報量は凄い。少女マンガは、無表情(取り澄ました表情)な主人公のたちの周囲に書き込まれた台詞とこまごまとしたイラストの書き込みやコマ割りなどを手立てとして、人物たちの心理表現に非常な力点を置く。マネキン人形のような表情とスタイル画のような絵が、周辺の書き込みを媒介にして繊細な物語を紡ぐという仕掛け。少年マンガに慣れた読者には戸惑いがあるかもしれないが、マンガとしての技法は基本的に同じ、怒りの表現が悲しみの表現にスライドしたと思えばいい、少女マンガ特有の文法というか作法というか、慣れてしまえば自然に読めるようになる。70年代にこれだけの物語を紡ぎだしたこと、萩尾望都は現在のこの国のマンガ文化の隆盛の基礎をつくった天才の一人。
 「ポーの一族」という物語には、物語の核になるような主人公がいない。ゴルゴ13ブラックジャック、オスカル、ケンシロウのようなシリーズの物語の中核をなすという意味での主人公はいない。エドガーやアランは主要な登場人物ではあるが、物語の主人公ではない。現われては消えてゆく何人もの美少女達も、悲哀の調べを奏でる脇役にすぎない。中心となる主人公が不在であるが故に、物語は主人公の成長や変容をたどることはしない。歯がゆいほどにエドガーもアランも成長しない。肉体的にも精神的にも成長しない。成長しない宿命に呪縛されているかのように、一定の年齢に凍結してしまっていること、それが時代や年月を超越することの意味。時代を超越した永遠の命のなんという逆説。
 何がこの魅惑的な物語の仕組みを支えているのだろうか。それは、作者がこの物語の中に仮構したバンパネラという吸血種族そのもの。バンパネラは雌雄の両性生殖によらず、吸血による感染によって仲間を増殖するという仕掛け。バンパネラは種の進化からも疎外されている。従って、異性愛と同性愛がまったく等価。少女マンガの背景から生殖を取り去って、愛を描こうとすると、一つの論理的な帰結としてバンパネラの世界に行き着く。何という危うい関係性。
 ある時期から、萩尾望都自身が自覚したと思われるが、物語の骨格として年表もしくは年代記のようなものが必要となった。多様なエピソードを矛盾なくつなげる人間社会の歴史を軸にしたバンパネラの事件史、これがこの物語の骨格をなす構造として浮かび上がってきたに違いない。「ランプトンは語る」の最後に置かれた白抜きの略年表は、この物語が終盤に差しかかってきたことの証。永遠という観念と儚い命という主題の連続、この物語は萩尾望都にとっての手塚治虫火の鳥」の位置を占める。「ポーの一族」の主題は、人間たちでも吸血種族でもなく、繰り返し描かれる濃密な少年愛でもない。この物語を支えている物語の構造そのものが主題となって作者の中で燃え上がる。物語のための物語、あるいは物語が物語の主人公と化した物語。70年代に、少女マンガの表現は、そんな水準にまで到達した。月刊雑誌に不定期に掲載されたが故に、作者の中で十分に発酵し熟成した物語の飛翔。
 残された主題があるとしたら、吸血の種族がいかにして発生したのかという、時代をさらに遡る根源的なルーツを探究する物語。萩尾さんに「ポーの一族」の外伝として是非取り組んでみてもらいたい気がする。 
 物語の締めくくりは中編「エディス」、再びエドガーとアランとエディスの三角関係が文字通りに燃え上がる。火の中に消えるアランの消滅が「ポーの一族」の物語の終焉となり、エドガーが死んだかどうかはっきりしない物語の余韻。言葉でどんなに語っても、「ポーの一族」の世界を描き出すのはどだい無理、未読の方は、是非実物を手にとって見てもらいたい。のめり込んでも惜しくない傑作です。