武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「漫画『神聖喜劇』全六巻」 原作・大西巨人 漫画・のぞゑのぶひさ 企画・脚色・岩田和博 (発行幻冬舎)

 この国の漫画の表現水準がついにここまで来たかと感心させられるような、画期的な力作漫画を紹介しよう、大西巨人の大作「神聖喜劇」を漫画化した「漫画神聖喜劇全六巻」。映像表現が持つ視覚的な説明力を生かして、原作ではやや退屈だった地の文を極力省き、圧倒的なエネルギーをもつ原作の会話文を最大限生かした構成なので、原作と比べてはるかに読みやすく、分かりやすい。物語のドラマ性が強まり、原作とは違う独自の表現世界を漫画表現として立派に確立していると感じた。

 原作は完成までに25年をかけた超大作の長編小説だが、この漫画神聖喜劇も何度も構想を練り直して10年の歳月をかけてようやく完成した作品という力作。ひとコマひとコマの丁寧な書き込みを見ていると、たっぷりと時間をかけたことがよくわかる。コマ割りなどにあえて新奇な手法は使わず、着実に真摯に緻密なコマを積み上げたところが、原作の持ち味をうまく生かす結果につながったという気がする。原作を読んだ印象で、漫画にするなど不可能ではないかと思い込んでいただけに、この出来栄えには心底感心した。いくつかの漫画賞を受賞したことも納得できる。
 原作も読了するのに時間がかかったが、漫画の方も同じように時間がかかる。要領よく要約してしまっては抜け落ちてしまう大事なものが多いので、たっぷりとページを使った6巻編成にしたこともよかった。1日に1冊程度のペースでこの漫画を読んでゆくと、60数年前にこの国で起きた戦争体験が、今なお形を変えて企業や行政、学校に潜んでいることが、じんわりと分かってくる。意にそわない権力の暴走に対していかに対処すすか、いろんなヒントが随所にちりばめられているので、勇気がわいてくるような気がする。
 原作を読むのが一番だが、この漫画版神聖喜劇を導入にして、神聖喜劇の世界の全貌をまず把握してからでも悪くはない。一人の作家が25年もかけて練り上げた力作なので、はじめはその文体に戸惑い、読みにくい感じを受けるが、読み進むにつれてこの物語にとって必要だった文体だということが納得できたあたりから、物語の推進力に巻き込まれ大きなうねりに乗せられていつの間にか最後まで読むのをやめられなくなる。最後の巻の後半に来ると、読み終わるのが惜しい気さえしてくる。
 この漫画版神聖喜劇だけでもいいし、原作への橋渡しになってもいいし、どちらでもいいが、いずれにせよ神聖喜劇を全巻読んだことのある人と、そうでない人では、ものの考え方に何らかの違いが出来てくるような気がしてならない。神聖喜劇の読書は、一つの体験として評価するに値する、と言いたくなるほどの圧倒的な読後感を味わえる。老いも若きも、是非手にとって見てほしい。