武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「ああ 好食大論争 開高健全対話集成1・食編」1982初刷 (発行潮出版社)

 89年の12月に開高健が亡くなってそろそろ20年近くが経過しようとしている。彼が元気なころは、いろいろな活字メディアに出てくる対談を読むのが楽しみだった。本人の饒舌極まりないトークの魅力は勿論だが、対話する相手から思いがけない話題を引き出してくるのが非常にうまくて時には、こんなことまで喋らされてしまってお気の毒にと、その後が心配になるほど喋らせ上手だった。

 古い本だが、最近、開高健の座談をまとめた本を引っ張り出してきて、楽しい時間を過ごしているので紹介しよう。今も昔も変わらないと思うが、雑誌のスペースがぽっかり空いてしまいそうな時、何人かを集めて座談会を企画することがあるらしい。これがうまくいくと、時間をかけて書いてもらった原稿などよりも、格段に面白いものが生まれることがあるいう話を聞いたことがある。開高健が参加した座談会には、本人の喋り上手もあって、そんな成功例が多かったように記憶している。本人はずいぶんと書くことに苦しまれたようだが、むしろ喋ることにかけては天才的な所があった方だった。
 本書は、開高健さんが得意にしていた食べ物をテーマにした座談会を集めたもの、古今東西の食の蘊蓄をこれでもかと出し合う美食家のお喋りは、読んでいるだけで満腹感と飢餓感を交互に感じてしまうほどに刺激的、今は亡き黛敏郎石井桃子との3人の会話などは、盛り上がった勢いで、お互いの身体を食材にして如何に賞味するかというとんでもないレベルにまで飛躍して、読む者の度肝を抜く。
 いずれの対談もとにかく食べることにひたすら集中、メラボリック・シンドロームなどと言う発想など微塵もなかった大らかな時代を反映、健康よりも栄養よりも何よりも美食、ある意味で命がけの美食をとことん追求なさる情熱的な姿がまことに天晴れ、とでも言うより仕方がないような内容。この国が高度成長の波に乗り、バブル経済が大きく膨れ上がっていた時代だったせいかもしれないが、今読んでもその贅沢な美食道には、読んでいて痛快感すら覚える。これは時代がはらんだ食のニヒリズムではなかったろうか。
 さて、内容の概略をお知らせする意味で目次を引用しておこう。

美食とエロスと放浪と(開高健きだみのる檀一雄
ああ好食大論争(開高健阿川弘之
嗚呼、世界の大珍味(開高健黛敏郎石井好子
うまいものばなし(開高健草野心平
駆ける釣る食べる(開高健團伊玖磨
胃袋がすすめる旅立ち(開高健牧羊子
甘い日本酒に辛い注文(開高健小松左京
古今東西「食」の本(開高健荒正人、池田彌三郎)
よき葡萄の木は「天才」に似て(開高健安岡章太郎

 お年のせいもあるがほとんどの方々が故人となってしまっている。テレビなどで知っている生前の雄姿を思い浮かべながら読むと、書かれたものにはない生き生きとした雰囲気が伝わってきて懐かしい。図書館などで手にする機会があったら是非ページをめくってみていただきたい。