朝のワンプレート(17)
《食通と偏食》
おかしなタイトルを思いついたのには訳がある。小島政二郎と言えば、「食いしん坊」という食のエッセイシリーズで知られた食通作家の1人、作家にしては珍しく長寿の人だった。その夫人だった小島視英子さん描くところの私人小島政二郎は「天味無限の人 小島政二郎とともに」の中で、非常に偏食の激しい人として描かれているのには吃驚した。食通として知られていただけに、何となく幅広い食の嗜好をお持ちの方とばかり思い込んでいたけれど、極端な偏食家であったが故に、好きな食べ物にはとことん拘っていたのかもしれないと思い到り、ストンと納得のいったことだった。
そんなことが契機となって、食通と言われる食いしん坊作家たちは、もしかするととびっきり好き嫌いが激しい偏食家であるが故に、好きな食べ物にこだわったり、食の表現に磨きをかけたりしたのかもしれないと、何とも奇妙なことを想像するようになった。思いつくままに食や美食について、筆にすることの多かった作家や随筆家を順不同で拾い上げてみよう。池波正太郎、中村草田男、邱永漢、ねじめ正一、北大路魯山人、立原正秋、東海林さだお、銀色夏生、吉田健一、開高健、山口瞳、檀一雄、吉行淳之介、獅子文六、杉森久英、丸谷才一、玉村豊男、杉浦日向子、嵐山光三郎、内田康夫、内田百けん、立松和平、桐島洋子、深田祐介、山本一力、角田光代などなど。男性が多いのは、これまでは男の方が外でご馳走を食べる機会が多かったからだろうか。数え上げるときりがないのでこれくらいにしておこう。
誰もが偏食の疑いありとは思わないが、偏食傾向のありそうな方が何人か思い浮かんでくる。何かが大変に大好きだと言うことは、往々にして他の物は大して好きじゃないと言うことの裏返しになりがちなことは想像に難くない。自分は何々に目がないなどと言う表現の裏には、それ以外の食材についての嫌悪感が潜んでいる場合が少なくない。
断っておくが、私は偏食がイケナイとは思っていない。何かを食べるか食べないかはあくまでも私事(プライベート)なことなので、咎め立てする理由など全くない。ただし、味覚もこの世界に開かれた感受性の窓なので、<味覚の幅は人間の幅>を私的なモットーにしているだけである、単に雑食性が甚だしいだけかもしれないが(苦笑)。
アメリカで大活躍のイチロー選手の極端な偏食は有名である。野菜が大嫌いでほとんど口にしない時期が長かったそうだが、アスリートとして理想の体型を維持しつつ、驚異的な記録を打ち立て続けている。彼を見ていると「偏食は身体に悪い」なんて言う言葉が信じられなくなる、人体の食に対する適応力に感心するしかない。
話を戻して、食の表現が多い作家達は、日頃、どんな食事をしていたのだろうか。何でもない普通の日に朝起きて、どんな朝食のお膳を前にしていたのだろうか。贅沢の限りを尽くしていたのだろうか、それとも庶民レベルの質素な飽きない普通の朝食を食べていたのだろうか。
「おいしさの表現辞典」などを見ると食通の表現は、魚介類や肉類などの動物性タンパク質に嗜好が集中する傾向にあり、産地がどうの調理法がどうの、何県の何とかいう老舗の味がどうしたこうしたと、庶民の味覚からほど遠い記述が多い割りには、穀類や野菜類への言及がぐんと少なくなるのが不思議でならない。好きな食べ物についてなら筆の乗りもよくなるのは肯ける。表現の構築は、感動をエネルギーとするものなで、これも致し方のないことなのかもしれない。
前置きはこれくらいにして、朝の献立を紹介してゆこう。食通でもアスリートでもない普通の高齢者(笑)の朝の食事。
4月某日の朝食(上) ・味噌汁(油揚げ、ナメコ、ネギ)・ご飯・京菜のおひたし・モヤシのおひたし・ニンジンの温野菜・カボチャの温野菜・春菊のおひたし・白菜キムチ・カリフラワーの温野菜・オクラのおひたし・蕪の甘酢漬け・トマト・ニンジンの温野菜・ワカサギの南蛮漬け・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳
4月某日の朝食(下) ・味噌汁(椎茸、ナメコ、ネギ)・ご飯・京菜のおひたし・ニンジンの温野菜・モヤシのおひたし・グリンアスパラの温野菜・カリフラワーの温野菜・オクラのおひたし・モロッコインゲンの温野菜・筍の旨煮・レンコンのきんぴら・プレーンオムレツ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳
季節が春から初夏に向かっていることが、献立の変化に少しずつ現れてきている。季節感のある食材は、少し高値でも出来るだけ仕入れてくるようにしている。この時期にしか食べられない鮮度の良い筍は、本当に美味しい。今年は冬が寒かったので、白菜の高値がずっと続いており、わが家の食卓に上る機会が少なかった。