武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『草迷宮・草空間』 内田善美著 (発行集英社)

 集英社の少女マンガ誌「ぶ〜け」に81年と84年に1回ずつ掲載され85年に単行本になった少女マンガ、20年以上前の古い作品だが、今読んでも十分に新鮮、繰り返し読んで奇妙な感覚を何度でも楽しんでいる。今では入手し難い古書なので推薦するのにチト気が引けるが、素晴らしいものはやはり素晴らしいので、思い切って紹介しよう。「草迷宮」と「草空間」の2編の中編が入っているが、たまたま発表時期が開いて2編になっているだけで、実際は一つの連続した作品と考えていい。
 マンガでしか表現しにくい奇妙な味わいの作品なので、内容紹介に苦労する。主人公は、小さい時から猫好きな繊細な感受性をもつ大学生、名前は<草(そう)>、日本家屋を借りて一人暮らしをしている。その青年が、帰宅途中で道端に捨てられていた立派な市松人形を拾い、自宅に持ち帰るところから、この不思議なマンガが始まる。この市松人形には<ねこ>という名前があり、生きていて自分で動いたり喋ったりするという設定。
 人形の作者や所有者のルサンチマンや怨念がこもるとオカルトになるところだが、この市松人形、何故か純真無垢な愛嬌もの、<草>と<ねこ>のやり取りが掛け合い漫才になっていて、ついニンマリしたくなるような愉快な共同生活が始まる。金魚のエピソードと電話のエピソードが、可愛くて奇妙に悲しくて絶妙な展開を見せてくれる。
 丁寧に細密に描きこまれたフェティッシュなまでの市松人形の描き込みが素晴らしい。古い時代物の豪華な市松人形には、美しさを通り越して一種独特の人形の不気味さのようなものがあるが、この作品は、市松人形のそんな味わいをうまく生かしている。人形の髪の毛一本一本、着物の模様の細部まで手を抜かず精魂こめて描きこまれていて、ストーリーから逸脱してつい絵それ自体を立ち止まって鑑賞してしまう。
 もうひとつ、ときどき現れる周囲の情景描写の詳細な描写、自然の風景であったり日本家屋の室内であったり、一本の樹木であったりする克明な情景描写が、作者の卓越した技術の証しであるが、作品のシュールなストーリーに現実感を与える骨格になって作品世界を支えている。
 前半の「草迷宮」から「草空間」に話が進むと、<草>と<市松人形>のおかしな暮らしに、主人公に好意を寄せる女子大生<あけみ>や友人<時雨(ときふる)>たちが絡み、話に一層の弾みが付き、話に広がりと奥行きがさらに増す。市松人形の細密描写はさらに精緻をきわめて素晴らしくなり、ページをめくっていてため息が出そうなほど。81年から84年まで発表年にずれがあるが、ほぼ3年の歳月を必要とした仕事ということか、とにかくどのページも絵が素晴らしい。マンガが所々でイラストのほうへはみ出してしまっている。あるいは、イラストとマンガが交錯している境界域で描かれたマンガと言えばいいか。
 抒情と滑稽をブレンドしたシュールな味わいといい、少女マンガとも少年マンガとも少し違うような気がする大人の味わいといい、手に入りにくい本だと思うけど、機会があったら是非手にとって見てほしい。しばらくは手元に置いて繰り返し読み返したくなる貴重な一冊になるに違いない。