武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『タルコフスキー日記(殉教録)』アンドレイ タルコフスキー 著 鴻英良, 佐々洋子訳 (発行キネマ旬報社)

 ロシア出身の映画監督、むしろ映像作家と呼ぶほうがふさわしいタルコフスキーの1970年から1986年までの日記。86年の12月に亡命先のパリで客死するまでの晩年の日記には、鬼気迫るものがある。81年から86年までの日記は、補完する形で「タルコフスキー日記(殉教録)Ⅱ」が出ているが、併せて読むと「惑星ソラリス」以降のタルコフスキーの内側から、映画作りの創作過程に肉薄することが出来る。
 副題に「殉教録」とあるが、文中にこの題についてのメモがある。「気取った偽りに満ちたタイトルだが、変えるのはよそう。空虚で根絶しがたい、取るに足らぬ私の存在を記憶にとどめておくために。」。どんなつもりで克明な日記をつけていたか、よく分かるメモだが、日記の内容は、多岐にわたり、作りたい映画の構想から、読書の記録、家族の動静、購入した田舎の家の改装、日々の行動の記録などなど、生活の細部から映画の創作過程まで、何が飛び出してくるか分からないので、先を読みすすむのにドキドキわくわくする。
 他人に読まれることを全く想定してしていな日記らしく、型に嵌まらず思いついたことや書きたいことを、思いのままに書いている感じがとてもいい。編集されているので、カットされた部分も少なくないと思うが、何が飛び出してくるか先が読めないところは、人生の日々の経過に似ており、何とも言えない味わいがある。日記を読む喜びを改めて感じさせてもらった。
 タルコフスキーが監督して撮った映画は8作品と寡作な映像作家だったが、その独創性が際立つ中期以降の5作品すべての創作過程にかかわっている時期の日記なので、タルコフスキー作品に一歩踏み込んでみたい方には、特にお勧め。ちなみに70年以降の5作品というのは、以下の5本、「惑星ソラリス(1972年)」、「鏡(1975年)」、「ストーカー(1979年)」、「ノスタルジア (1983年)」、「サクリファイス(1986年)」。私には、この中でも「ノスタルジア」の幻想的な映像美が忘れがたい。
 ソ連時代を生きた人なので、当局の検閲にひどく苦しんだ様子が随所にうかがえる。86年に亡くなるが、後5年生きていて91年のソ連邦崩壊を是非見せてあげたかった。ペレストロイカがようやく始まったばかりの頃に、胃癌でなくなるわけだが、壮絶な闘病の日々は、読んでいて胸を刺されるような思いがする。
 貴重な記録文学として、多くの人の目に触れることを期待したい。残念なことに、現在は2巻とも絶版、図書館ででも探してみてほしい。タルコフスキーについてはウィキペディアの以下のサイトを見てほしい。とてもよくまとまっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC