武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ラジオの時代』 武山昭子著 (発行世界思想社)

 私が生まれて10歳になる頃まで、テレビというメディアそのものがない時代だった。報道メディアの主役は、新聞とラジオだった。特にラジオは、速報性と娯楽性の両方を担う、メディアの王様だった。何歳からだろう、私もラジオを聴くことが、数少ない楽しみだった。
 という訳で、テレビがなかった幼かった頃の記憶の感触を確かめるために、ラジオしかなかった時代のことを知ろうと「ラジオの時代」というこの本を手にした。一読、素晴らしいドキュメンタリー作品との思いを強くした。
 全体の流れができていて時系列をおって書かれた本ではない。いろいろな時代の放送のエピソードを柱に各章が独立して短編小説のような仕組みになっており、取材が行き届いていて、綿密に再構成された各時代のエピソードを中心にリアルに古い時代が再構築されている。資料の乏しい時代のはずなのに、読んでいて非常に手ごたえがある。見事なドキュメンタリー作品と評した所以。
 たとえば、第1章の「時間メディアの誕生」の「茶の間に入った時報システム」、時間メディアってなんだろうと思って読んでゆくと、放送が始まる1925年までは、この国の庶民の生活には、刻々と刻まれる時刻や時間という概念そのものがなく、庶民は江戸時代と大差ない時の意識の中で暮らしいたという。ラジオの普及とともに、ラジオを通して、時刻の概念を暮らしのなかに取り入れていったということが、分かりやすく書かれている。ラジオ放送と番組表が、人々に時刻の概念を植え付けたとは、全くの驚きだった。
 この本の記述を辿ると、この不思議さがじっくりと分かってくる。このほかに、第1章では、ラジオ放送開始時期の新聞各社と国家権力との、放送権の争奪戦が面白い。全体主義国家への萌芽が、すでにこの時代にあったことを知り、驚いた。まるで本能のようにして権力が、マスコミを政治宣伝と教化の手段として支配していったことを知り、なるほどと感心したことだった。
 次の第2章は、本書のピークをなす力の籠った部分、大正天皇の病気報道から死亡、葬儀にいたるプロセスは、昭和天皇着任の儀式へ連続し、権力の継承過程を国民に知らせ、強い国民統合と教化の役割を果たしたことを、克明に実証して見事。メディアを介していかにして戦前の天皇制国家が形成されていったかを、近代日本政治史の一側面として、非常にリアルに表現しており、素晴らしい研究になっている。誕生したばかりのニューメディアのラジオが、近代天皇制の形成に果たした役割をこんなに見事にとらえた著述は、他に知らない。この章の最後の「封印された天皇の声」は、天皇制がどんなプロセスを経て<絶対性>をまとっていたか、つぶさに教えてくれる。背筋が寒くなるような権力の身振りがリアルに伝わり、手に汗握る迫力がある。戦前の絶対主義的な軍国主義、侵略国家は、ラジオというメディアとともに形成されていった側面があることを知り、考えさせられた。
 第3章の「ラジオ文化」は、ラジオがメディアとして成長し庶民の暮らしの中に定着した姿を描いて、いわゆるラジオの時代の特徴を鮮やかに描き出している。ラジオが庶民の生活の娯楽と報道の王様だった時代の特徴は、この章に一番よく出ている。<スポーツ放送><オリンピック放送><ラジオドラマ>ここまではテレビ時代とよく似ている。<ラジオ体操>とラジオの関係は切っても切れないが、そのラジオ体操の誕生から、なんと全国的なネットワークを駆使した郵便局の宣伝活動によって広がり、戦後に復活して日本人の生活習慣として定着するまでの知られざるエピソードを掘り起こし、目からウロコの事実の続出、とても興味深かった。
 そして、戦後の被占領期、占領軍と日本政府の二重権力状態のころの、ラジオ放送。占領政策の推移とともにラジオ放送への規制が質的に変化してゆく過程にも、なかなか興味深いものがあった。
 自分の子供時代の記憶をたどるよすがにとの思いで手にした本だったが、本格的なメディア文化史と出会い、意外な知的興奮を享受させていただいた。ラジオの時代とは、メディアの側面から見るとラジオが時代を作る役割を果たした時代ということだった。
 最後に、目次を引用しておこう。素晴らしい本だが、入手が難しいらしいので、図書館などで探して是非手にとって見てほしい。

プロローグ
1 時間メディアの誕生
 一 文明の利器「ラジオ」への期待
 二 茶の間に入った報時システム
2 天皇報道に燃えたラジオ
 一 大正天皇御不例(病気)放送
 二 大正天皇大葬儀放送
 三 昭和天皇御大礼放送
 四 封印された天皇の声
3 「ラジオ文化」一つの到達点
 一 スポーツ放送
 二 オリンピック放送
 三 ラジオドラマ     
 四 ラジオ体操
4 占領期のマスメディア
 一 マスメディアの天皇論議
 二 『真相はこうだ』
あとがき