武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『半島を出よ(上)(下)』 村上龍著 (発行幻冬舎2005/3)

 数年前に大変評判になりベストセラーになっていたので、お読みになった方も多いだろうが、最近古書店の105円コーナーに並んでいるのを見つけ読んでみた。一読、もっと早い時期に読んでおけばよかったという思いがした。素晴らしく面白いうえに、いろいろ考えさせられる内容を含んでいるので紹介したい。
 簡単に言うなら近未来政治小説北朝鮮関連の情報量が凄いので、本格的情報小説とも言えそう。近未来の日本、主に福岡市を舞台にしているが、SF的な仕掛けは全くなし、北朝鮮の謀略により反乱軍を詐称する北朝鮮兵が福岡を占拠、それに日本社会から疎外されたテログループが立ち向かうというあらすじ。こんなふうに要約してみても何にもならない。原稿用紙1650枚という膨大な書き込みの、密度の高いリアルな描写こそがこの物語の読みどころ。
 物語の「語り手」となる視点人物が、非常に多数、一体何人の主要登場人物を準備したのだろう。しかもどの人物にも確かな存在感があり、安心して最後まで物語についてゆける。素晴らしい著者の筆力に感心した。北朝鮮の兵士を視点人物に据えるという冒険が、見事に成功しているところが凄い。あの国の兵士を、きちんと人間として描き出したことだけでも画期的。この小説には、たくさんのものが詰め込まれているので、いろんな読み方が出来るが、一読して、気づいたことをいくつか拾い出してみよう。
 ①北朝鮮の先遣隊コマンドと高麗遠征軍に対するイシハラグループの対比に着目してみると、北朝鮮軍は完璧なまでの共同体に一体化した組織的人間、対するイシハラグループのメンバーは、資質や生育に由来する日本社会からのはみ出し人間の集まり、共同体からの疎外が攻撃性に転化、反社会的なテロリストに変貌した集団。両者に直接的な接点はないものの、この物語は、この両者の互いに相手を殲滅せんとする激しい戦いを主筋として紡がれてゆく。完璧な共同性に対する究極の反社会性、こうゆう視点で物語を振り返ると、大きな枠組みが見えてくる。
 ②反社会的なテロリストグループ、イシハラグループの組織の存亡をかけた個々のメンバーの最後の成長物語。この読み方で振り返ってみると、メンバー全員の名前が、カタカナ表記で終始する理由もうなずける。エピローグで、イシハラの爪に描かれたメンバーの名前が、はじめて漢字表記されるのは、イシハラの記憶の中で回復されたメンバーのアイデンティーの証という意味だろう。この物語の中の印象的なエピソードのひとつ。
 ③地方対中央の対立の構図、この枠組みもこの物語の最初から最後まで全体を貫いている。もう何年にもなるこの国の新自由主義的傾向が、地方対中央の格差構造を、このように鋭いものにしているのかと思うと、やりきれない思いがする。地方対中央の構図を念頭に、この物語を振り返ってみると、地方の内部と中央の内部の両方に、相当深く突っ込んだ取材をしてあることが、印象深く思い返される。中央で進行するなし崩し的な空洞化への批評が厳しい。こういうところから、著者の批評精神を読むのも面白かった。
 ④硬質でドキュメンタリータッチの文体は、最初は小説らしくない気がして読みにくかったが、途中でなれた。この作者は、作品ごとに文体を変えることがあるので、考えた末の文体なのだろう。突き放したような乾いた感じの描写が、この物語に似合っていたんだということが、読み進むと納得できる。1600枚の最後までこの文体で描き切った素晴らしい筆力に感心した。
 まだまだいくつもの読み方でこの物語を読むことができると思うが、進行形で読んでいる時もドキドキして楽しいが、読み終わってああでもないこうでもないと振り返ってみるのも非常に楽しい。若い人たちで、読書会などで取り上げて、議論してみると最高の素材になるのではないか。

 最後に、全体の目次を引用しておこう。きちんと構成を考えがっしりと構築された物語であることを再確認できる。

prologue1−−−2010年12月14日…ブーメランの少年
prologue2−−−2010年 3月21日…平壌 朝鮮労働党三号庁舎・第一映写室 


introduction1−2011年 3月 3日…見逃された兆候
introduction2−2011年 3月19日…待ち受ける者たち


phase one1−− 2011年 4月 1日…九人のコマンド
Phase one2−− 2011年 4月 2日…種のないパパイヤ
phase one3−− 2011年 4月 2日…ゾンビの群れ
phase one4−− 2011年 4月 2日…アントノフ2型輸送機
phase one5−− 2011年 4月 2日…宣戦布告


phase two1−− 2011年 4月 3日…封鎖
phase two2−− 2011年 4月 3日…円卓の騎士たち
phase two3−− 2011年 4月 4日…夜明け前
phase two4−− 2011年 4月 5日…大濠公園にて
phase two5−− 2011年 4月 6日…死者の舟
phase two6−− 2011年 4月 7日…赤坂の夜
phase two7−− 2011年 4月 8日…退廃の発見
phase two8−− 2011年 4月 9日…処刑式
phase two9−− 2011年 4月10日…「良い旅を」
phase two10−−2011年 4月11日…通報者
phase two11−−2011年 4月11日…美しい時間
phase two12−−2011年 4月11日…天使の白い翼


epilogue1−−−2011年 4月14日…赤坂
epilogue2−−−2011年 5月 5日…崎戸島
epilogue3−−−2014年 6月13日…姪浜