近世の畸人、滝野瓢水という人物
日文研のデータベースの「近世畸人伝(正・続)」から「滝野瓢水(たきのひょうすい)」という人物のデータを拾い出してみよう。
播磨加古郡別府村の人、滝野新之丞、剃髪して自得といふ。
富春斎瓢水は俳諧に称ふる所なり。
千石船七艘もてるほどの豪富なれども、遊蕩のために費しけらし。
後は貧窶になりぬ。
生得無我にして酒落なれば笑話多し。
酒井侯初メて姫路へ封を移したまへる比、瓢水が風流を聞し召て、
領地を巡覧のついで其宅に駕をとゞめ給ふに、
夜に及びて瓢水が行方ヘしられず。
不興にて帰城したまふ後、二三日を経てかへりしかば、
いかにととふに、其夜、月ことに明らかなりし故、
須磨の眺めゆかしくて、何心もなく至りしといへり。
又近村の小川の橋を渡るとて踏はづし落たるを、
其あたりの農父、もとより見知リたれば、
おどろきて立より引あげんとせしに、
川の中に居ながら懐の餅を喰ひて有しとなん。
京に在し日、其貧を憐みて、如流といへる画匠初、橘や源介といふ。
数十張の画をあたへて、是に発句を題して人に配り給はゞ、
許多の利を得給んと教しかば、大によろこび懐にして去りしが、
他日あひて先の画はいかゞし給ひしととふに、
されば持かへりし道いづこにか落せしといひて、
如流がために面なしと思へる気色もなし。
所行、大むね此類なり。
はいかいは上手なりけらし。
おのれが聞ところ風韻あるもの少し挙。
ある堂上家へ召れし時、消し炭も柚味噌に付て膳のうへ
何某の大納言殿賜し御句
名はよもにひゞきの灘の一つ鷹
といへる、にこたへ奉りて、
ひとつ鷹狂ひさめたり雪の朝
大坂の知己の者遊女を請んといふを諫て、
手に取ルなやはり野に置蓮華草
母の喪に墓へまうでゝ、
さればとて石にふとんも着せられず
有と見て無は常なり水の月
達磨尊者背面の図に題す
観ずれば花も葉もなし山の芋
京の巴人といふもの病すと聞てのぼりしに、伏見にてはや落命したりときゝて、
嘘にしていで逢ふまでの片時雨
生涯の秀句と人のいへるは、
ほろほろと雨そふ須磨の蚊遣哉
七十六七ばかりにて終れりとぞ。
後注に次の記述がある。
滝野瓢水(滝瓢水)
俳人、豪商。滝氏。別号、野橋斎、一鷹舎。通称、叶屋新之丞、のち新右衛門。貞享元年(一六八四)生。俳諧を松木淡々に学ぶ。宝暦十二年(一七六二)五月十七日没。年七十九。播磨加古郡別府宝蔵寺に葬る。編著書、『五百韻』、『播磨拾遺』、『むかひ月』、『柱暦』など。
この滝野瓢水なる近世の商人をどうして取り出してきたかと言うと、文中にも出てくる有名な句、「手に取るな やはり野に置け 蓮華草(れんげそう)」の出所探しをしていて、偶然に遭遇、気になったから。まさか遊女の身請けにからむ艶っぽいネタだったとは。紹介文を読んでみると、まさに<畸人>と呼ぶにふさわしい波乱の人生を送った洒落た面白い人物。
引かれている句にみなぎっている洒落た批評精神の何ともほんのりとして暖かいこと、句集があるのなら是非一回手にとって見たいという思いがした。
引用元の<日文研のデータベース>がまた素晴らしい。次のURLをクリックすると<日文研>のサイトに行けるので、データベースをチェックして見てほしい。こんなものまで公開しているのと吃驚するくらい貴重な資料がそろっている。
http://www.nichibun.ac.jp/
<追記>その後、続俳家奇人談・巻中に次のような記事を見つけたので引用を追加しておこう。
瓢水居士
播陽の瓢水は人にしられし富家なれども、俳事に金銀を擲ちて後まづしかりしも、心にかけぬ大丈夫なり。富春斎ある年の元旦に、かつちりと打つ火のほかは去年の物
流るるやわが抱籠はあらし山
ふみぬいだ足にて音やけさの秋
そのほか調なること思ふべし。平生したしき人の、難波の遊女を根引せんと云へるをいさめて、
手にとるなやはり野におけ蓮花草
ある人に達磨の賛こはれて、
観ずれば花も葉もなし山のいも
とし老いて俳諧の名手と聞え、御所へ召されたる時、
けし炭も袖味噌につきて膳のうへ
なみなみの俳人にはあらざりけらし。
さてはあの月が鳴いたか時鳥
(温故集には藻風とあり、不審。瓢水、初名藻風と云ひたるか知らず)の詠は、かの左大臣どのの古歌より取り得て至妙なり。あるひは初句一こゑと直して、蕉翁とし其角となすは知らぬ者のいつはりなり。閑田子にゆづりて委しくはしるさず。
句の味わいは変わらない。微妙に批評をにじませたとぼけた味わいが何とも言えない。