武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『奥の細道』 矢口高雄著 (発行嶋中書店アイランドコミックスPRIMO2004/9/28)(原版中央公論新社マンガ日本の古典25−1995/10)


 今から20年ほど前、オートバイで一夏、芭蕉奥の細道の行程をたどったことがある。隅田川の新大橋から岐阜の大垣まで、カーナビなどなかった時代なので、地図を確かめ道に迷い、苦労の多い思い出深いロングツーリングだった。その時もその後も、繰り返し「奥の細道」を折に触れて読み返し、楽しんできた。
 矢口高雄のこのマンガ奥の細道をはじめて手にしたとき、改めてこの国のマンガ表現のレベルに感心、目の覚めるような思いを味わったのだが、いつの間にか蔵書の奥に隠れてしまっていた。今回の再読でも、改めてその表現水準の高さに驚きを新たにしたので、その魅力の一端をご紹介してみたい。
 まず、導入にあたる<序>、この章では、一気に前半の行程、日光、黒羽、那須白河関、松島などを僅か7ページの10数コマでやり過ごしてしまう。長い紀行文の前半部分を大胆に圧縮したこと、この判断がこのマンガを成功させた第一の要因だろう。国文学の愛好家や研究者には絶対に思いつかない大胆極まりない思い切り、練達のマンガ家だからこそ出来た決断だ。
 次の<其の一 夏草や>では30数ページを使って奥州平泉での芭蕉の動きを、源義経と藤原一族の事跡をたどることによって膨らませ、豊かな紀行マンガに仕上げている。矢口さんは自ら俳句をたしなむと書いているように、このマンガでは奥の細道の中でも、指折りの傑作短歌が誕生したその背景を表現することを目指しているらしく、傑作が生まれ出る経緯への踏み込みはまるでドラマの名場面を見るよう。
 続く<其の二 春や来し>と<其の三 ばせを植て>は、一転して伊賀における芭蕉の青年期と、江戸における俳諧師として研鑽を積む壮年期を整理されたコマ運びで描き出してゆき、芭蕉奥の細道紀行にかけた文学的背景に迫ろうとする。ページにして約50ページ、芭蕉の前半生を知る絶好の入門書となっており、行き届いた取材に感心する。
 そしていよいよこのマンガの山場、作者が奥の細道の中からクローズアップしようと決意した出羽路の主要部分に差し掛かる。<其の四 よしなき山中>では、尿前の関のエピソードと出羽新庄の庄屋での宿泊をクローズアップ、当時の東北の暮らしぶりが鮮明に描かれる。<其の五 紅花半夏ひとつ咲き>と<其の六 涼しさを>では、一行が苦労したと書かれている山刀伐峠越えのくだりと、尾花沢の清風宅での滞在が描かれている。とりわけ尾花沢滞在に焦点をあて、清風を中心とする出羽地方の俳諧愛好家グループとの連句の集いが詳細に描かれる。作者の芭蕉研究の深さが反映している部分である。
 <其の七 閑かさや>では、当時の出羽地方での紅花作りの現場と、立石寺における山寺のエピソード、<其の八 五月雨を>では、最上川水運の要衝、大石田での連歌の様子が詳しい。奥の細道が、芭蕉曾良の孤独な旅路ではなく、芭蕉が提唱する新風の地方巡業だったことが、うまく表現されている。
 そして<其の九 雲の峰>では羽黒山と月山に登るエピソードが、この矢口版奥の細道のクライマックス、月夜の雄大な月山のシーンで物語は幕を閉じる。見事に其の四から其の九までの6章約200頁で濃密に出羽地方を旅する奥の細道のハイライト部分が活写されている。作者自らが自作中の最高傑作と自負するのも肯ける出来栄えである。
 目次を引用しておこう。


其の一 夏草や
其の二 春や来し
其の三 ばせを植て
其の四 よしなき山中
其の五 紅花半夏ひとつ咲き
其の六 涼しさを
其の七 閑かさや
其の八 五月雨を
其の九 雲の峰
奥の細道』行程図
あとがき
参考文献

 芭蕉の名句が誕生する背後の情景と、座の文芸としての歌仙を巻く情景に焦点をあてた本格的な奥の細道マンガを是非手にとって見てもらいたい、余りの本格派ぶりに圧倒されることを保証します。