武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『今日は死ぬのにもってこいの日だ』 ナンシー・ウッド著 フランク・ハウエル画 金関寿夫訳 (発行めるくまーる1995/9/20)


 蔵書を整理していて、本の山の中から顔を出してきた一冊、今日のように見事に晴れ渡った透明度の高い青空を見上げていると、呟いて見たくなる名台詞「今日は死ぬのにもってこいの日だ」。原詩は、
Today is very good day to die.
 日本語訳のあまりの見事さに脱帽するのみ。本書の原題も
Many winters
この本の訳では<たくさんの冬>だったものを「今日は死ぬのにもってこいの日だ」に変更したのも、同じく見事なアイディア。
 タオス・プエブロの老インディアンからの聞き書きを、詩の形に編集したのが本書だそうだが、原題にもあるように本書の内容は、冬のイメージに満ちて厳しくどこまでも透き通っていて、しかも冬の日溜まりのように暖かい。この本は、ゆったりした時間のある冬の日に読むととても味わい深い。じめじめした梅雨時などには似合わない。
 人生を冬にたとえた一遍の長編詩として本書を読むと、幾重にも意味と情景を積み重ねた、言葉の交響詩として読めて味わい深い。度重なる迫害にもくじけることなく誇りに満ちた歳月を重ねてきた老インディアンの苦渋と歓喜が、時の経過と共に透き通り深い言葉となって零れてくるようで何とも言えない。フランク・ハウエルの渋いインディアン人物画をはさんで、美しいフレーズが読み手の気持ちの奥の方に折りたたまれる。
 表題のない短い叙情詩集としても読むことも出来、含みの多い簡潔で分かりやすい言葉が、長く生きた老人の声として人生の奥行きとりて響いてくる。この声には自然と耳を傾けてみたくなる深遠な響きがある。大地に生きる者の雄大な自然観が素晴らしい。
 本書には引用するような目次は付けられていないが、あえて目次のようにして内容を示すなら

まえがき−ナンシー・ウッド
《たくさんの冬》全編
訳者あとがき
《原詩》全編

 特筆すべきは、やはり訳者金関寿夫さんの日本語訳が素晴らしいこと、軽すぎず重すぎず通りのいいスッキリした日本語になっていて味わい深い。原詩のリズムが生きており、つい声に出してそっと呟いてみたくなる。
 題になった印象深い一遍をやはり引用しておこう。ここに唄われているような<死ぬのにもってこいの日>のような心境をこの国の老人の一体何人が持ち得ているだろうか、プエブロインディアンの人生の何と豊穣なことか。

金関寿夫訳 原詩 
今日は死ぬのにもってこいの日だ。 Today is a very good day to die.
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。 Every Living thing is in harmony with me.
すべての声が、わたしの中で合唱している。 Every voice sings a chorus within me.
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。 All beauty has come to rest in my eyes.
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。 All bad thoughts have departed from me.
今日は死ぬのにもってこいの日だ。 Today is a very good day to die.
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。 My land is peaceful around me.
わたしの畑は、もう耕されることはない。 My fields have been turned for the last time.
わたしの家は、笑い声に満ちている。 My house is filled with laughter.
子どもたちは、うちに帰ってきた。 My children have come home.
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。 Yes, today is a very good day to die.

 この本は、やはり処分しないで手元に置いておくことにしよう。

(追加)この詩集の最後をしめくくる詩編も、大変に素晴らしく、その翻訳の技術にあらためて感心したので、もう一遍原詩と一緒に引用させていただこう。

金関寿夫訳               原詩                 
たとえそれが、一握りの土くれであっても  Hold on to what is good
良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。  even if it is
                         a handful of earth.
たとえそれが、野原の一本の木であっても  Hold on to what you believe
信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。  even if it is
                         a tree which stands by itself.
たとえそれが、地平の果てにあっても  Hold on to what you must do
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。  even if it is
                         a long way from here.
たとえ手放すほうがやさしいときでも  Hold on to life even when
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。  it is easier letting go.
たとえわたしが、君から去っていったあとでも  Hold on to my hand even when
わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。  l have gone away from you.

 プエブロインディアンの古老からの生きることへの励ましのメーセージが力強く響いてきます。