武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『4分間のピアニスト』 クリス・クラウス監督 (モニカ・ブライプトロイ、ハンナー・ヘルツシュプルング主演、スヴェン・ピッピッヒ助演) 2006年ドイツ映画


 最近見た映画の中で、久しぶりにお話の展開に引き込まれて、最後まで時間の経過を忘れて見入ってしまった映画があるので、紹介したい。
 お話の柱になっているのは、80歳をこえる老ピアノ教師と、殺人の罪で収容されているピアノの才能を秘めた手が付けられないほど粗暴な若い女囚、寒々とした刑務所で出会った二人が、ピアノのレッスンを通して反発しあいながらも互いを認め合い、助けあってコンクールを勝ち抜いてゆくという所謂サクセスストーリー。
 ピアノ教師クリュガーには、かつてのナチズムの時代に同性愛の相手を裏切り、フルトベングラーにまで才能を嘱望されていながら、音楽への夢を断念した重い過去があり、女囚ジェニーの方も、子ども時代に各国で天才児と騒がれながら、養父に犯され、荒れた生活のなかで恋人と産まれてくる我が子を失った悲惨な過去を引きずっている。これらの過去が説明的にではなく、断片的な回想シーンとしてストーリの展開に絡んで挿入されてくるので、ドラマは厚みを増しながら次第に盛り上がってゆく。
 この二人の間に、看守のミュッツェが入ってくるところがミソ。彼の屈折した人柄と音楽への憧れ、才能あるジェニーへの嫉妬心が、二人のレッスンに絡み、ストリーに起伏をもたらす。私はこの看守ミュッツェの役柄と嫌らしいまでの巧妙で渋い演技に何度も唸らされた。(役者はスヴェン・ピッピッヒ、素晴らしい名俳優)この看守が配置されたことにより、老ピアノ教師の個性がより鮮やかに引き出され、女囚ジェニーの精神的荒廃と秘められた才能の輝きがくっきりと浮き彫りになってゆく。彼の演技を見るだけでも、この映画は見る価値がある。彼は人間には醜悪な面と崇高な面が同居していることを見事に演技して見せてくれる。
 音楽の世界のお話なので、映画の中で流れる音楽が大事だが、これがなかなかに素晴らしい。劇中で2回ジェニーのピアノがクラシックからはみ出すところがあるが、その2回の演奏が特に印象強い。音響効果の良い映画館で上映されると、さぞ効果的だろう。
 困難な境遇に負けない、スポ根ものならぬ芸術根性もの、最後には吃驚仰天するような稀に見る幕切れが待っているので、特に元気を失くしている若い人にお勧めしたい。後味はちょっぴり苦いが悪くはない、むしろ刑務所の厚い壁を突き抜けてスカッとする。