武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 武蔵野の雑木林、晩秋の風景


 仲間と一緒に雑木林の不法投棄されたゴミ拾いに行って来た。月に1回のゴミ拾いだが、いつの間にか雑木林の道ばたにいろんなゴミが捨ててある。多いのは飲み物の空き缶や空き瓶ペットボトルなどだが、中には使わなくなった電気製品や引っ越しの時にでたと思われる家庭ゴミなども見つかる。
 ゴミがあるとさらにゴミを呼び、増えてしまうので定期的に回収して、行政と連絡をとり回収してもらうようにしている。最近、何度も見かけるのが、どこかで焼却して始末に困って持ってきたらしい焼却灰、燃え残った雑多な物と一緒くたにして捨ててある。昔と違って、化学製品の多い今では、焼却灰には危険な重金属が高濃度に含まれていることが多いので、非常に困る。
 自分の身の回りをきれいにしておきたいために捨てるのだとは思うが、身勝手な不法投棄をする人は、どんな人なのだろう。雑木林のような人の目のないところにこそ、監視カメラを設置して、不審な行動をする人物をチェックしてもらいたいもの。 (画像は、すっかり色づいた武藏野の雑木林、こんなにも美しい風景が見られるのはいつまでだろう)

 ボランティアで下草を刈り取り、地面にまで日光が届くようになった雑木林の地面に晩秋ながら、背の低いリンドウが花を付けていた。こんな野草も、心ない人の盗掘のターゲットとなり、いつの間にかごっそりとなくなってしまうのが情けない。こんな武蔵野の雑木林にも、木枯らしとは少し違う、人の心を寒々とさせる、現代人の荒廃した心の寒気が流れてくるのが気にかかる。 (画像は、這いつくばるようにして地面から顔を出して咲いている晩秋のリンドウ、ほとんど茎らしい茎がなく、蕗の薹のようなスタイル)