武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 堀田善衛展(神奈川近代文学館)


 横浜の<港の見える丘公園>の一角にある神奈川近代文学館で開催されている、今は亡き戦後作家堀田善衛展に行って来た。類い希な散文表現の名手だった堀田善衛の世界は、彼の作品の中にその全てが表現し尽くされていると思っているので、どのような展示を見せてもらえるか、是非とも見てみたかった。
 会場は、大きく二つに分かれた展示だった。一つは、堀田善衛その人の生涯と作品をたどる展示、もう一つはアニメ作家宮崎駿さんのスタジオジブリが捉えた堀田善衛の作品の視覚化展示、両方ともに見応えのある展示で、2ヶ月足らずで片づけてしまうには惜しいような内容だった。
 アニメ作家宮崎駿と文学者堀田善衛との間にはどうみても共通点はほとんどない。宮崎駿さんが堀田善衛さんの作品の熱烈な愛読者というのが、二人を結びつける唯一の接点、今回の展示では、その接点に強くこだわったところが展示に現れていて、それはそれで納得できる展示になっていた。
 両者をつなぎ合わせる統一テーマは、<乱世>、最近ではあまり耳にしないこの言葉が、会場では最大の比重をかけてクローズアップされていた。戦後60年、半世紀以上も戦争の当事国になることなく、経済的繁栄を平和的に追求し続けてきたこの国で<乱世>を生きるとはどういうことなのか、展示内容を少し詳しく見てみよう。

 第1部の前半は、堀田善衛が自ら体験し生き抜いた戦前から戦後にかけての波乱に満ちた現代史を、映像や原稿やノートなどをもとに再現する、時系列に沿った堀田善衛の生涯、1918年にこの国に生を受けたということは、青春時代の全てを第2次世界大戦と日中15年戦争とともに過ごしたということであり、このことから受けた生涯への影響は計り知れない。丁度自分の父や母達の世代と重なるところがあり、<ありうべき親たちの世代の声>として、受け止めてきた節がどこかにあることに気がついた。そんなセピア色をした時代の展示は、父母の時代につながり、私にとっては何とも興味深かった。苦難に満ちた親たちの時代に目が吸い寄せられる。
 第1部の後半は、堀田善衛によって描き出された作品世界としての<乱世>、創作ノートや生原稿とともに資料として使った書き込みのある原書など、創作過程の一端がのぞける展示、読んで感銘を受けた作品がほとんど取り上げられていたので、大変に面白かった。堀田善衛作品の愛読者には堪らない展示物だった。 (画像は、書斎の大きな机いっぱいに資料を広げて執筆か思索に打ち込む作家の後ろ姿、会場に飾られていた印象的な一枚)
 スタジオジブリによる第2部は、堀田善衛作品の世界を原作にして、アニメーションを創作するという想定のもとに、アニメ制作の視点から、作品世界を映像化したもの、一つは「定家名月記抄」と「方丈記私記」の2作品をとりあげて「定家と長明」と題されたシリーズ、もう一つは「路上の人」という小説を原作にしたシリーズ、どちらもスタジオジブリの細部までおろそかにしない詳細な背景画のすばらしさにしばし圧倒された。スタジオジブリの実力に改めて気づかされた。若い人は、こちらの展示から先に見るといいかもしれない。堀田善衛の作品が、もののけ姫ナウシカの世界に溶け込み動き出すような気がして、本当にアニメ化されないものかと強く期待する気持ちにさせられた。
 興味のある方は、神奈川近代文学館の以下のサイトに行って見てほしい。展示の一端がご覧いただけよう、会期は11月24日までの後僅かです。
http://www.kanabun.or.jp/