武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『人形の旅立ち』 長谷川摂子著、金井田英津子画 (発行福音館童話シリーズ2003/6/15)


 図書館の児童書の中から借りてきた本だが、読み終わってからも返す気になれなくて、繰り返しページをめくって楽しんでいる。こんな気持ちになったら買うしかないのでAmazonで注文してしまった。<小学校上級以上>の子ども向けの本だが、まだ未読ならどんな年代の方にも一度手にとってご覧になるようお勧めしたい。
 内容は、5篇の連作短編、いずれも感受性の鋭い幼い女の子を視点人物にして綴られた日常と異世界の裂け目に目をむけた怪奇譚、怖いというよりもむしろ日常性の裂け目から覗く美しい幻想世界を描き出した日本的なファンタジー、読後感が爽やかな好読み物に仕上がっている。読みはじめた途端、この本は急いで先を読んだりしてはいけない、ゆっくり語句を声でなぞるようにして言葉の音の響きを楽しみ、浮かんでくるイメージを味わいながら、ゆっくりとブレーキを効かせて楽しんで読もう、そんな気持ちにさせられる本だった。
 気がついたことを箇条書きにして拾い出してみよう。
①文章と挿絵のマッチングが、これまでに見たことがないほどしっくりいっている。版画風の輪郭のくっきりした挿絵と組み合わされて、長谷川さんの繊細でリズミカルな文章の細部のしっかり書き込まれた情景描写をたどってゆくと、違和感なく美しい幻想シーンへとつながって行く。
 お二人のイラストとテキストが組み合わせが醸し出す、共鳴し会う世界がこの本の第一の魅力、テキストのレイアウトも実に上手く、繰り返し見ても飽きないのは、本の作りの巧みさによるものと思われる。子どものための本作りに、これほど才能をを傾ける大人がいるということがやはり嬉しい。
②つぎには、作者である長谷川さんの文章の魅力。この本を読んで、今まで考えたことのなかった次のような感慨がわいてきた。
 人は、子ども時代を3回生きることができるんだな、という可笑しな考えがそれ。もちろん1回目は自分自身の子ども時代。この1回目が輝かしい幸福に満たされているかどうかは、運命としか言いようがない偶然だが、誰もが一度はここを生きる。
 そして2回目は、大人になって懸命に子育てをしているときにやってくる。我が子の視線の高さに自分を置いて共に生きようとする時、生き生きとした2度目の子ども時代が蘇る。
 そして3回目は、成長し独立した子ども達に孫が産まれて、我を忘れて孫達との距離を失い、惚けたようになって愛玩したくなる時、可愛いい孫の瞳をみていると、吸い込まれるように3回めの子ども時代が回想の翼を広げてはばたくのではないか。年齢で言うと還暦の頃がこの時期にあたるだろうか。
 この連作の初めの3篇は、2回目の時期に書かれている。作者の後書きによると、それから長いトンネルがあって、20年以上経って、後ろの2篇ができあがったという経緯があるらしい。
 そのせいか、前の3篇の味わいと、後の2篇の味わいには、微妙な差異が感じられた。私の好みを言えば、前の3篇の瑞々しい幻想性を高くかうが、人によっては後ろの2篇のコクのある味わいを良しとするかもしれない。合わせて5篇の変化の妙を楽しむのが一番素直な楽しみ方だろうか。 (下の画像は、本文レイアウトの一例、イラストとテキストの絶妙な組み合わせに拍手)

③目次にそって内容をひろい上げてみると次のようになる。
「人形の旅立ち」 ―5篇全体の導入、出雲地方で幼い頃過ごした回想シーンで始まり、神社にある楠の古木と人形供養が結びついて、<わたし>と<ばあちゃん>が遺棄された雛人形の怖さと不思議さから異世界をのぞき見ることになる好短編。日本海に飛び去る雛人形のなんと美しいこと。
「椿の庭」 ―こんどは<わたし>と<虎じじい>が、<こーえん>と呼ばれている農園の一角で遙かな昔、幼い頃に死んでしまった女の子と会い、死の世界に思いをはせる物語。自然に満ちあふれる描写が鮮明で、その中に紛れ込んでくる幻影が美しい白日夢となって現れる場面が妖しさに満ちて素晴らしい。
「妹」 ―<わたし>と肺結核になった妹の<みっちゃん>が、子どもだけでいるときに垣間見る家族にとっての開かずの間<じっちゃんの便所>の向こうの異世界の恐怖体験。最後のフレーズが、こんなに鮮やか物語を締めくくる例はめったにない。お話の終わらせ方を賞味し、黙って余韻に浸りたい小品。
「ハンモック」 ―<あもやの姉弟>と<おたかさん>が<わたし>にからみ、あもやの<とよばば>の狂気と死を軸に、ハンモックにのせて市松人形をあやしている<とよばば>の戦争で我が子をなくした哀しさが、周囲の人々の優しさにつつまれて記述される。<おたかさん>について出かけた用事の帰り道、幼子の幻想をみる場面に行き着くが、構成の密度はやや弱い気がした。話が複雑になったぶん、すっきりした味わいが後退した。
「観音の宴」 ―人魚の肉を食べて800年の生きているという<三味線流しの女>と<わたし>の交流、神社の観音堂の生彩ある描写と、女が奏でる三味線語りの描写が複合して、目眩くような幻想世界が紡がれる。力のこもった連作物語の最終章にふさわしい力作短編。
 最後に、もう一言、描かれているのが子ども時代というだけで、表現の質は子どもの世界を遙かに突き抜けた上質な幻想譚、本の創りも素晴らしいので、借りて読むよりも自分の蔵書になさることをお勧めしたい一冊である。


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