武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ミレニアム1―ドラゴン・タトゥーの女上下』 スティーグ・ラーソン著 ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利訳  (発行早川書房2008/12/11)


 評判のミレニアム三部作を読み終わって、著者が亡くなった事実をかみしめ、気持ちが少し沈んだ。全6冊の読書タイムは、時の歯車を忘れる至福の時間だった。
 ミステリィとしての完成度は、この第1巻が一番優れている気がする。前半に提示された謎と危機が、物語の中で見事に解かれ、逆転勝利へと導かれ、波だっていた読者の気持ちを上手に静めてくれる本格推理物の味わいがある。だが、この1巻の筋書きだけを取り出せば、良く書けたミステリーで終わってしまうところだったが、それだけで終わらない。
 登場人物の一人、副題にでてくる<ドラゴン・タトゥーの女>フリーの調査員、リスベット・サランデルの人物造形が、この物語を単なるミステリィから、一段上の次元に押し上げた。極度に非社交的な性格で、むしろ反社会的とも言える自閉的なパーソナリティーの持ち主、身長も低く痩せていて少しも可愛らしくない女、良い女になれる要素を可能な限り取り除いた結果できあがったような人物に、潔癖な倫理観と、卓越したハッカーのスキルと特殊な記憶能力を与えてできあがった印象的なキャラクター、これが凄い。
 常識的には、もっとも感情移入し難いはずなのに、いつの間にか読者はこの奇妙奇天烈な女の子に、引き寄せられ魅了され、肩入れをさせられている自分に気付く。作者の見事な構成と筆力のなせるワザにちがいない。リスベット・サランデルの不思議な魅力に触れるだけでも、この本を読む値打ちは十分にある。
 もう一つこの本の長所と感じたのは、女性達がとても生き生きとしており、女性差別や女性蔑視の言動に対して、果敢に立ち向かってゆくところ、作者の優れた人権感覚が随所に散りばめられていて、爽やかな印象を与えてくれるところ、それが少しも説教臭くないのが気に入った。女は度胸、男は愛嬌、とでも言いたくなる通奏低音が全編に流れており新鮮だ。粗暴であることが男の証であるかのような状況がなんとも情けない。
 最後に、翻訳の日本語がとても読みやすい。滑らかで捻れのない透明感のある達意の日本語がいつの間にか先へ先へと読者を導いてくれる。複数の方が翻訳にかかわったことの長所だろう。
 この本、評判になったわりには、余り売れていないような気もするがどうなのだろう、私が入手したのは全部初版だった。未読の方は、是非どうぞ。読み出したら止められなくなること必至ですよ。