武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 止まっていた腕時計

toumeioj32009-11-15


早朝の散歩に出かけた折
駐車場に帰る時刻を決めようと時計を見たら
いつの間にか秒針が動きを止めていた。
ささやかな不意打ちだったが
気持ちがつんのめり狼狽してしまった。
恐らく、このようにして
自分の鼓動もいつかは動きを止めるのかな
という類推がはたらいたせいかもしれない。
<時計>から<時間>へ、<時間>から<記憶>へと
想像のさざ波が波及して
しばらく時計にまつわる思い出に浸った。


中学生の時
初めて自分の腕時計を買ってもらった。
ちょうどあの頃が、毎日の暮らしが
時間に縛られる生活の始まりだった。
それ以来
約束の時刻に遅刻するという悪夢を
何度も繰り返しみるようになった。
シチュエーションは変わっても
重大な取り返しなつかない遅刻の夢には
今でも辛くて胸が張り裂けそうになる。
初めて手首に巻いた銀色の時計は
今から思うとまるで
片腕だけの時の手錠のようなものだった。


何時買ったか忘れたが
初めてのデジタル表示の時計もショックだった。
限りなく狂いが少なく精確で
強い防水機能が付いていたのは便利だったが
時刻を刻々と精確に直線的に刻んでくれるので
アナログ表示のような循環がなくて
繰り返しのない過ぎ去り取り返しようのない時間についての
無機質な時の経過のアナロジーとなった。
「時は過ぎて還らない」と言う事実を
剥き出しにして赤裸に見せつけられたような気がした。
テクノロジーの過酷な一面をみたような気がした。


電波時計を部屋に置くようになってから
時計の表示にズレというものがなくなった。
あの柱時計には進み癖があり
この置き時計には遅れる癖があるなどという
長閑だった時代の時計の個性は
単なる欠陥か故障になってしまった。
深夜、目覚めるとボンボンと時を教えてくれる
柱時計の響きが懐かしい。


宇宙の歴史の幅で考えると
自分の些細な鼓動や腕時計の電池切れなど
どうでもいいことのように思える瞬間がある。
絶滅してしまった恐竜たちの鼓動や
化石になって凍り付いたアンモナイト
生きた刻々の時間についても考えてみた。


止まったままの時計をながめていると
とりとめのない想念が揺らめきのぼって気がめいる。
明日は電池の交換に行ってこよう。