武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『宇宙創成<上><下>』 サイモン・シン著 青木薫訳 (発行新潮社2009/1/28)

 優れた科学読み物に巡り会うと、二つ得した気分になれる。よく知らなかった分野の知識や思考方法がスッキリと分かったような気分になれること、もう一つは、記述の明晰さを辿っているうちに何だか自分の頭が良くなったような気がしてくること。逆に良くない科学読み物では、書かれてあることが分かり辛くて、自分の頭の悪さが呪わしくなってしまう。
 著者のサイモン・シンの書く物は、優れた科学読み物の条件にピッタリ。1作目の「フェルマーの最終定理」は凄かった。<フェルマーの最終定理>なんて難解すぎて自分の頭では生涯理解できないものと諦めていたのに、数学の歴史と共にある程度分かったような気分にさせてもらった。2作目の「暗号解読」もワクワクしながら、いっぱしの暗号解読者のようなミステリアスな気分さえ味わわせてもらった。
 3作目にあたるこの「宇宙創成」も、古代の天体観測による古代人の宇宙観から、キリスト教の教義との整合性を追求した時代を経て、ニュートンアインシュタインすら越えて最新のビッグバン宇宙論までを、ドラマティックにすっきりと理解させてもらえた。おかげで、この国の科学教育の幼稚さに気付かされ、本当に大丈夫なのか心配になってきた。非常に面白かったので、気付いたことを拾い出してみよう。
(1)分かりやすい理由の一つは、取材の幅広さと整理の巧みさもさることながら、記述に添えられた図表がとても良くできていることにある。少し分かりにくいかなと思っていると、図や表が示されて一気に理解への扉が開く感じがすることが何度もあった。提示する図表が実に良くできている。サイモン・シンには優れた教育者の素質があるようだ。
(2)展開の推進力として、かかわった科学者同士の人間ドラマの選択がうまい。科学研究の裏側に潜む人間臭さが、知識の理解に彩りを添えてくれる。自然科学が前進するきっかけに、人間社会の様々な葛藤があることが分かり、歴史小説を読むような楽しみがある。
(3)これまでずっと翻訳は青木薫さんが担当してこられているが、その通りの良いすっきりした日本語訳がいい。キーワードになっている用語にこなれの悪いカタカナを多用することなく、人物や地名などの固有名詞以外はほとんど漢字とひらかなにしてあるので読みやすい。透明度が高くよくこなれていると言う感じがする端正な日本語だ。
(4)各章の最後に、要点を整理したまとめがある。ひとまとまりを読み終えて、このまとめの部分に目を通すと、薄まりかけた記憶の中から要点部分が再度浮かび上がってくるようで面白い。自分が何を書いているか、本当によく分かっていないとできないこと。飛ばしても構わないところだが、高齢になってきた私にはあってよかった。
 最後に、本書の目次を引用しておこう。

第1章 はじめに神は…
(天地創造の巨人からギリシャの哲学者まで/円に円を重ねる/革命もしくは回転/天の城
望遠鏡による躍進/究極の問い/第1章のまとめ)
第2章 宇宙の理論
(アインシュタインの思考実験/重力の闘いニュートンvsアインシュタイン/究極のパートナーシップ理論と実験/アインシュタインの宇宙/第2章のまとめ)
第3章 大論争
(宇宙を見つめる/消えますよ、ホラ消えた。/天文学の巨人/運動する宇宙/ハッブルの法則/第3章のまとめ)
第4章 宇宙論の一匹狼たち
(宇宙から原子へ/最初の五分間/宇宙創造の神の曲線/定常宇宙モデルの誕生/第4章のまとめ)
第5章 パラダイム・シフト
(時間尺度の困難/より暗く、より遠く、より古く/宇宙の錬金術/企業による宇宙研究/ペンジアスとウィルソンの発見/密度のさざなみは存在するのか/第5章のまとめ)
エピローグ

 分かりやすいので、理科の好きな中高生にぴったりだと思うが、理科系の男の子に興味のある若い女の子にこそ是非手にとってもらいたい好著である。