武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『川は静かに流れ』 ジョン・ハート著 東野さやか訳 (発行ハヤカワ・ミステリ文庫2009/2/15)


 この作者の翻訳された3作「キングの死」、本書、「ラスト・チャイルド」の評判がいいので、2作目の本書を手に取ってみた。巻頭の謝辞に著者が書いているように、これは濃密な「家族をめぐる物語」だ。同時に喪失した自己の回復と、緊迫した謎解きのサスペンスに満ちた、読み応えのあるミステリになっていて、なかなか読ませる作品だった。
①古き良きアメリカ南部の名望一家が、内部から崩壊して行く過程を、ミステリの舞台装置にした、どろどろした骨と肉が軋むような物語だが、意外にも全編を貫く色調には透明感があり暗くなかった。主人公の目に映る情景や、回想シーンが抒情的で美しい文章で飾られていてなかなか読ませるせいだろう。
②全編の記述が、視点人物である一人称の主人公の視点で語られるので、屈折した人物設定ながら、感情移入しやすくできている。楽園を追放されたアダムという名前を持たせて、随所に象徴的な言動が見られるのが面白い作者の工夫、この点は深く考えないで素直に楽しむことにした。
③面白いミステリには、強烈な悪役が欠かせない。本書では、謎解きの構造が、真犯人の存在と表裏一体となってるので、インパクトは秘められて強く表面には出てこないが、印象的な人物設定となっていて物語をうまく支えている。
④物語の中心となっている農場主であるジェイコブと作業監督ドルフの人物造形が良い。全体的に、アクの強いアメリカ南部の農業地帯らしい、個性的な人物が配置されていて、奥行きのある物語に仕上がっている。
⑤家族の絆を軸にしたアメリカ南部の農業経営が、電子力発電の誘致に揺れるという設定だが、主人公の家族以外の町の人々の動きは、ほとんど描かれないのでこの点は少し物足りない。最初から最後まで、相当に徹底した家族の物語として書かれている。家族という物語の枠組みから、この作者はどこへ抜け出るか今後が興味深い。
⑥翻訳の日本語が、程良い美文で綴られていて、気持ちよく読める。会話文よりも、地の文の方に物語の奥行きをつくるイメージの喚起力があり、随所に読者を酔わせる名文句が散りばめられている。主人公の内面の声なので、思わず引き込まれそうになるほど上手い。他の作品も読んでみたくなった。