武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ダイエットの顛末記(2)


 食生活を若干制限するシンプルなダイエットを始めて、2ヶ月が経過した。間食を一切止め、嗜好品や飲み物の砂糖をカット、三食の食事からパンや御飯、乗襀゙などの炭水化物の摂取を半分程度にとどめるという、いたって単純なやり方。後は、動物性タンパク質や動物性脂肪をこれまでよりも控えめにし、減量があまりに極端なことにならないように注意するくらい、運動量は今まで通り、通常の生活を維持するのがもう一つのルール。
 ダイエットの経過が分かるように、寝る前と起床直後の体重を計り、グラフに記入し続けている。食生活の微妙な変化が、体重の増減に敏感に反映するので、食べることに今まで以上に自覚的になれたのはいい経験だった。その後いくつか気付いたことがあるので列挙してみよう。 (画像は7月の朝晩の体重グラフ、下旬の直線はキャンプで体重測定が出来なかったもの)
 ①食後、3時間ほどが経過した頃、少しずつ空腹感を感じるようになるが、そのまま何も食べないで居ると、ある時からスーッと空腹感が消えて行く。蓄えてあった体内のエネルギー源からの持ち出しが始まったのかな。それからしばらくの間は空腹を感じない。体内に空腹感を押さえるメカニズムが備えられていることを毎回実感する。子どもの頃の空腹を忘れて遊び回っていたことを思い出した。空腹は忘れることが出来るし、腹が減っても、ある程度は戦(イクサ)はできるのである。
 ②だが、何かを少し口にすると、何故か空腹感が消えるどころか、かえって強くなることも分かった。食料品コーナーの試食品のひと欠片、小さな果物の一粒、砂糖抜きの飲み物以外のどんな食べ物でも、いったん食べたら、ある程度の量を食べるまで、空腹感は解消しないことも分かった。間食を止めたのは、大切なことだった。身体にとっては、間食か、正式な食事か、判断できないのだ。空腹時の食物は、身体にとっては、ガス欠時のガソリン補給のようなもの、補給が間に合ったと勘違いして予備タンクの補給を控えるのかもしれない、不思議。空腹時のひとつまみ厳禁なり。
 ③グラフをつけていると、右肩下がりが緩くなる時期と、一気に下降する時期が判別できるようになる。私の場合、下降する日には、何故かオシッコが出る回数が多くなる。大量に水分を摂取した訳でもないのに、今日はトイレに行く回数が多いなという日には、確実に体重のグラフは降下することがわかった。体調に変化はなく脱水症状とも思えないので、何かの調節作用ではないか。通常は1日の平均が7回程度らしいが、10回を越える日があると、かならず大きな体重変化が見られた。私の場合、頻尿は体重変化のシグナル。
 ④体重の増減にかかわる砂糖の比重の大きさに驚いている。砂糖の摂取がこんなにもダイレクトに体重にかかわってくるとは思っていなかった。考えてみれば、砂糖とは精製された純粋なカロリーそのものだった。摂取するやいなやたちどころに体内で吸収されて体の一部と化す様は、全く見事と言うほかない。ダイエットの天敵は砂糖なり。
 ⑤外食した時の、全部食べないで一部を残すことの、何とも自虐的な自己満足、食べ物を残すことの快感が分かってきた。<勿体ない>の精神からすれば、食べられるものを残す行為には忸怩たる思いを誘発するものがあるのだが、今の飽食の時代、全部食べるからブタになるので(失礼)、却って全部食べないことこそが格好いい行為なんだという発想の転換が大事なのだ。不味いから残すのではなく、美味しくても、いや美味しいからこそ残すという、心意気が大事という気がしてきた。
 ダイエットには、学ぶことが少なくない。
 この記事は、以下の<ダイエットの顛末記(1)>の続きです。http://d.hatena.ne.jp/toumeioj3/20100703/p1
(追記) 「体重はカロリーだ」という単純明快な命題を、あるサイトでみつけた。ちなみに1kgの体重を換算すると7200kcalになるそうだ。1kg減らすのがいかに大変かよく分かる数字である。