武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子著 (発行文藝春秋2009/1/10)


博士の愛した数式」を読みその完成度の高さと面白さに脱帽、この作家に果たしてこれ以上の物語が書けるかどうか心配したほどだった。Bookoffの105円コーナーでこの本を見つけ躊躇せずに手に取った。一読、「博士の愛した数式」の時ほどの文体密度はなかったものの替わりと言ってなんだが、プロットの繋ぎ目を埋める細部の芳醇な味わいは、あれ以上かもしれないとワクワクしつつ存分に楽しませてもらったので、紹介したい。
小川洋子の紡ぎ出す物語世界は、現実らしさから隔たれば隔たるほどに、物語を構成する細部の緻密さを増し、まるで西洋アンティークのレース編みのような繊細さと透明感を併せ持ち、読む者の視線を虜にする。この物語を読んで印象に残ったことを拾い上げてみよう。 (この本のカバーが物語の雰囲気を実に上手く表現しているので、カバーを開いてアップしてみました)
①まずこの物語のプロット、前置きなしの全部で18章編成のストーリーと、最後に短い終章が付く組み立てとなっている。1章から6章までが主人公の少年時代、「彼がまだ親の名付けたごく平凡な名前しか持っていなかった頃の話」である。誕生時のチョットした奇形とその手術、象のインディラや猫のボーン、ミイラと名付けた死んだ女の子、そしてチェスを教えてくれたマスターとの出会いなど、その後の生涯を決定づけるこの物語の主要構成要素との出会いが、滑らかな筆致で語られてゆき、忽ち物語空間へと引き込まれてしまう。
②早い段階でこの物語は、リトル・アリョーヒンと呼ばれた天才チェスプレーヤーの成長物語、所謂教養小説だと言うことが分かってくる。
③7章から12章までの6章は、パシフィック海底チェス倶楽部におけるチェス人形を操る影のチェスプレーヤーとして暮らしたリトル・アリョーヒン時代。ミイラと名付けた助手兼スコアラーの女の子との淡い恋心の交流を通奏低音にして、15歳から20歳までの思春期を緻密に描き出してゆく。主人公を取り巻く、心温まる家族との触れ合いに何とも言えない味わい意がある。小川洋子は家族を描くのが上手い。
④13章から18章までは、チェス愛好者のみの老人専用マンション・エチュードにおける夜の時間帯専門のチェス人形を操る影のチェスプレーヤー時代。その期間は2年足らずだったと言うから、20歳から22歳頃までのことか、不慮の事故であっけなく亡くなってしまうまでの老人マンションでの日々が綴られている。老婆令嬢のアルツハイマー振りが、枯れた味の見事な哀感を滲ませる。
⑤要約してみると、この物語は誕生から15歳までの少年時代が6章、15歳から20歳までの思春期が6章分、老人施設での青年期が6章分、きちんとした3部構成で出来上がっていることがよく分かる。でも、こんなことが分かったからと言って、この物語の魅力に何ら触れたことにはならない。
⑥この物語の魅力は、超現実的な設定の展開に、何ら不自然さを感じさせない巧みで切れのいい繊細な一つ一つの語り口にある。細部の組み立てに少しも手抜きすることなく、丹念な描写を積み重ねながら物語を紡ぎ出して行く、レース編みの職人のような手つきが何との素晴らしいのだ。勿論、心引かれるエピソードにもこと欠かないので、ストーリー自体も十分に楽しめるのだが、透明感のある鮮やかな日本語の文体が何よりも楽しい。安んじて物語の流れに身をゆだねることができる。
⑦チェスのゲームが生み出す詩情に焦点を当てているので、ゲーム展開の緊迫感の描写はやや物足りない気がしないでもない。勝負としてのチェスゲームには、スリルに焦点をあてた別の展開もあると思うが、これは無い物ねだり。個人的には、チェスの妙味はよく分からないので、チェスを学ばなかったことを少し後悔した。