武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ダイエットの顛末記(4)


BMI22を目標とするシンプルダイエット(間食をやめ動物性タンパク質と炭水化物を減らすだけ)を始めて4ヶ月、何とか目標値を行ったり来たりするようになってきたので、9月でダイエットを終了する。だが、総てを元のライフスタイルに戻せば、やがて体重は元に戻るのは必定、ダイエットの終わりがリバウンド開始ではシャレにならない。(右のグラフは、この4ヶ月間の体重測定の記録、同じ食事制限をしていても、次第に傾斜がゆるやかになってきたのが面白い。やがて水平になるのだろうか。下がり続けてもゼロにはならないということか。)
そこで、まず減らしてきた動物性タンパク質の摂取量を少しずつ増やしてみよう。間食をしないルールでやってきたが、慣れたので可能な限り続けて行こう。さて、ダイエット最終段階、いかが相成ることやら・・・。面白かったので体重測定と記録はしばらく続けることにしたい。 
その後に感じたこと、考えたことなどを拾い出してみよう。
①ダイエットを続けていると、体重が減り痩せていくことに、自虐的な楽しみを感じるようになるから不思議だった。効果は痩せ具合に現れるのだが、BMI22では見るからに痩せた状態にはならない。私はそれで十分だと思っているが、若い女性などモデルのような体型に憧れがあると、標準体重以下を目指すことになるかもしれない。この誘惑は分かる。標準体重では話題性に乏しく目立つこともない。単なる健康は、普通にすぎないので、何だかせっかく頑張ったのにツマラナイと言うか、物足りないのかもしれない。
②<美>という評価基準は、社会(他人の集合意識)が決める相対的なもの、社会風俗のようにその時々の時代の流行によって左右されるところがある。現代社会では痩せていることが女性にとってオシャレなことの必要条件になっているようだ。
あるサイトでは、BMI22を標準体重、BMI20を美容体重、BMI19をモデル体重と表記していた。このように表記されればモデルに憧れる若い女性はBMI19を目標にするに違いない。ダイエット関連ビジネスが1兆6千億円を超える巨大市場になっているのが現代社会なのだ。<醜>からの脱出は、美の追究以上にシビアなのかもしれない。
③別のサイトに、高齢者の体重と病気を調査したところ、BMI18以下の高齢者に統計的に有意に心臓病の発病が多く、余命も少ないことが分かったので、BMI18以下の痩せ老人には栄養指導が課題となっているという情報があった。要するにこれは栄養失調のこと、食べ過ぎも食べなさ過ぎも問題だと言うこと。
そう言えば、近くの公園の早朝散歩で、ちょっと痩せすぎではないかと思う高齢のご夫婦やご老人に度々遭遇する。病院勤務の知り合いの管理栄養士の話でも、切実な高齢者の栄養失調の話を聞いた。どこかで、生きる意欲と栄養管理は結びついているのかもしれないが、基本的には栄養についての基本的な知識の欠落が問題のようだ。
2005年に「食育基本法」が成立しているが、こんな法律が必要な深刻な時代背景が進行しつつあるようだ。カロリーが低いことがヘルシーだなんて、不思議な時代になったものである。貧しかった戦後の時期、カロリー豊富な物を手に入れることが、健康への道だった。そんなに遠い昔のことではない。